東京電力会長が記者会見に応じた。
事態はまさに、刻々と変化しており、今後の推移がどうなるか、予測しがたい中、いつ終わるともしれない決死の作業が続けられている中での話である。
東電にすれば、政府と一体になって事態の悪化を阻止するのが精一杯だということは、想像できる。
しかし、原発事故にともなって避難している人々や、放射能に汚染された野菜の生産農家、海を放射能で汚されて仕事にならなくなった漁業者などだって、一刻の余裕もないピンチに立たされている。
24日朝、福島の野菜農家が自殺した。
記事によれば、須賀川市のこの人は、自作の腐葉土を使って有機野菜作りに取り組んでおられたそうだ。しかし、土がだめになれば、食べ物を作ることなどできない。
この人の絶望感の深さが、痛いほどわかる。
地震・津波の被害者への救援も急がねばならないし、原発事故の被害者をも、救わねばならない。
そういう中で、東電会長は、「自社の責任」という言葉を、最期まで発しなかった。
さらに、被害に遭われた方には東電を潰しても補償を優先するのかという問いに対して、「全体としては原子力損害賠償法の枠組みの中で考えていきたい」と答えている。
この法律には、事業者の賠償責任について、「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」という免責条項が規定されている。
東電トップがこの条項を知らないはずはないから、場合によっては、責任逃れということを考えているのかと、疑ってしまう。
今回の地震・津波・事故は既に、現行の法的枠組みで処理できる範囲を超えている。
救援・復興のための費用を捻出するための増税や公務員給与の引き下げなどに対し、強い異論は出てこないだろう。
埼玉県あたりでは、一日最大6時間の停電(鉄道・病院・信号などを含む全面停電である)にも耐えている。
この停電が一年間続くとしても、被災地を思えば、耐えるしかないという思いである。
国費を、必要なだけ、救援と暮らしの再建のために注ぎこむべきだ。
今は事故対応で手一杯であるなら、それでもよい。
しかし、補償問題に対して、「経営感覚」を発揮しようというごとき発言は、許されない。
「当社の責任は誠に無限大である。社の存亡をかけて、補償に応じたい」くらいのことを言うのが、まともな企業モラルというものではないか。
個人的見解と断ってはいるが、「免責事項の適用はありえない」と述べた枝野官房長官の判断は、至ってまともである。
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