決定のプロセス

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 10月4日に、トラブルのため自動停止していた佐賀県玄海原発が、早々に再稼働した。

 再稼働に至る経緯が、朝日コムにまとめられている。
 この記事を要約すると、以下のように、奇妙なことになる。

古川康・佐賀県知事や岸本英雄・玄海町長がこの日、再開容認の姿勢を示したことから「地元の理解も得られた」と判断して、九州電力運転を再開した。

 だとすると、佐賀県知事と玄海町長が再開を容認したから、原発が動き始めたということである。ところが、

岸本町長は「4号機については国から安全性の確認を得た」と明言。古川知事も「規制の責任を負う国が判断されたのであれば、これまでと同じように受け入れる」と述べた

とも書いてある。となると、知事と町長は国がタイコ判を押してるから受け入れるんだ、と言ってることになる。じゃ、国はどう言ってるかといえば、

枝野幸男経済産業相は、「地元と協議した上で事業者(電力会社)が決めること」と述べていた。

わけだから、地元自治体と九州電力が勝手に決めればよいと言っており、別に安全だなどというお墨付きなど、出したとは言ってない。

 つまり、三者が三者とも、「自分が判断したことでなく、決定の責任は自分にはありません」と述べているのである。
 そうすると、再稼働に伴って、もし問題が発生したら、どうなるだろうか。

 九州電力は、「地元の理解が得られたから再稼働したのだ」という論理だし、地元自治体は「国が安全と言ったから受け入れたんだ」といい、国は、「九電と地元が決めたことだ」と言うだろう。

 モノゴト決定のプロセスが、とてもいい加減なのである。
 そのいい加減さは、政治の世界だけでなく、社会のあらゆる場面に一貫している。

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