食べ物を作れない世界

| コメント(0) | トラックバック(0)

都会の夕日


 終日、農作業と家の仕事。

 里芋予定地の耕耘。
 アスパラガスの畝の除草と中耕。
 ルバーブの株分け。

 懸案だったボイラーの覆屋作り。
 まだ完成でないが、ボイラー本体に雨がかかることはなくなった。
 引き続き、薪置き場の屋根を作らねばならない。

 久しぶりに京阪電車や阪神電車に乗って、車窓から景色を見た。
 住宅と店とビルが、どこまでも続いていた。

 大阪の風景は、東京とはずいぶん異なっている。
 東京には、都心にも、それなりに広大な緑地があって、人が暮らせる雰囲気がある。
 一方、大阪には、ちょっとした公園すらまことに少ない。

 当然ながら、都会に暮らす人々にとって、食べ物は、作るものではなく、買うものである。
 今のところ、カネを出せばたいていのモノを買うことができるから、都会民がカネこそ全てという考えに染まるのも、無理はない。

 しかし、人の暮らしの基本は、なんといっても、食べ物を作ることである。
 カネを食べることはできない。
 都会には、食べ物を作る場所すらない。

 それを不自然と感じる感覚さえ、都会民は、磨耗させてしまったのだろうか。

 夕日はどこも同じように赤く、大きいのだが。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog-yasutani.xrea.jp/mt5/mt-tb.cgi/5919

コメントする

2015年9月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

アーカイブ

カテゴリ

カウンタ
Powered by Movable Type 6.0