「日本史」への絶望

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 ロキソニンの服用をやめたので、傷の治癒速度が遅くなったような気がするが、明らかに気のせいである。
 術後一週間でここまで回復できるとは驚きだし、医療現場には感謝にたえない。

 読書ノートに『陸奥黄金街道』『平泉』を追加。

 古琉球や平泉政権をみていると、中世「国家」を近代国家の概念で腑分けすることにあまり意味がないことに気づかされる。
 例えば古琉球は、明の冊封を受けたのだから、明に支配されていたと表現されるかもしれないが、琉球国王にとって、明から冊封されることは、明の官僚の立場に転落することを、まったく意味していない。
 それどころか、明に貢納し中国服を着て中国語を話すことは、古琉球の相対的独立を維持する必要条件だった。

 平泉政権もまた、京都政権に金や北方産物を貢納して陸奥・出羽押領使や鎮守府将軍に任じられ、京都の先端文化を取り入れたが、鎌倉政権によって滅ぼされるまで、独自の権力を保ち続けた。

 かつての国家は、はるかに変幻自在で弾力性を持っていた。

 いうまでもなく、平泉政権以前の北東北や蝦夷ヶ島や古琉球は「日本」の版図とは言えないのだが、現在の国家は、琉球の歴史も「日本」の歴史の一部だと強弁する。
 今の「日本」国家が語ろうとする「日本歴史」は、大和・京都政権の物語でしかなく、日本列島に生起した歴史ではない。
 歴史の勉強が、大和・京都政権に支配されるものとしてのアイデンティティを刷り込むのを目的としているならば、有害無益なので、学ばないほうがよい。

 列島に生きる民に必要なのは日本列島の歴史であって、「日本史」などという怪しい物語ではない。

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