嘉内と賢治の歌碑
畑の物置小屋が崩壊してきたので、つくり直さねばならなくなった。
作ったのが2008年12月だから、5年しかもたなかった。
粗相な作りなのだから、仕方がない。
午前中は、小屋用のヒノキ丸太の加工。
先端をイスカに切って、元を焼いて焦がす。
そんなことをしている間に、豚肉の燻製作り。
これは、夕食のピザ用。
昨日立ち寄ったスーパーで、豚肉が安くなっていたのだ。
午後、田んぼの地主さんのところへ年始のご挨拶。
帰りに田んぼ近くにあるという、保阪嘉内と宮沢賢治の歌碑を見に行った。
碑は、地質博物館の庭に建てられているのだが、なんの説明板も立っていない。
賢治を知らない人はいないだろうが(賢治が地質を学んだことは知らない人が多いかも)、嘉内を知っている人はいないだろう。
嘉内なかりせば賢治の作品は生まれ得なかったかもしれないキーパーソンが小鹿野町を訪れた記念碑なのだから、もう少し何とかならないかと思う。
賢治の歌は、
さはやかに 半月かかる薄明の 秩父の峡の かへり道かな
嘉内の歌は、
この山は 小鹿野の町も 見へずして 太古の層に 白百合の咲く
である。
二基の碑は写真のように、当時の彼らと同様、褶曲した地層に目を輝かせながら、仲良く並んでいる。
そんなわけで、夜は、小麦を挽いてピザ焼き。
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