リュウノウギク
股峠にて
両神山が見えてきた
リンドウ開く
叶山
ローソク岩を見上げる
ヤクシソウ
日没が早いので、早朝以外に畑仕事ができないのだが、夜明けすぐに家を出ることもままならないので、やるべきことが進まない。
「両神山群」に二子山山行記を追加。
二子山からは、眼下に叶山が見える(上の写真)。
この山は二子山と同様、純度の高い石灰岩でできている。
ベンチカット法といい、山体上部を発破で崩し、重機を使って、平坦化した山頂部から山体下部に掘られた採石場へ崩した石片を落とす。、
つい先日まで、地下ベルトコンベアを使って、ここから秩父市大野原にあるセメント工場まで原石を運んで製品を作っていたが、現在、大野原工場の操業縮小に伴い、ベルトコンベアは動いていない。
コンベアのルートは、地形図にも記されている。
叶山鉱山のあるところにはかつて、叶後(かのううしろ)という集落があり、群馬県側からは、牢口と称される岩のすき間を通らなければ行くことができない秘境中の秘境だったらしい。
秩父側最奥の坂本集落から魚尾道峠を越えれば、すぐに叶後に行けるのだが、この道は現在、通行止めで、廃道化しつつある。
山歩きを始めたころ、叶山に続いて、二子山でも石灰採掘が始まるという噂だった。
二子山よりやや下手にある毘沙門山(白石山)は、うちの裏山だが、すでに石灰採掘が始められたものの、途中で中止され、そのままになっている。
二子山は、両神村と合併するまでは小鹿野町でもっとも著名で、人気のある山だったため、眼前の利のために二子山を崩すことには、地元の抵抗があったという。
結果的に、二子山は無傷で残ることになった。
次に二子山のことが気になったのは、『岩と雪』第136号の記事を読んだ時だった。
「特集・秩父二子山の岩場」と題した記事には、「ガバホールドはたたき落とし、痛いホールドは丸くし、掃除してヌンチャクをセットして準備完了」とか「ルート開拓に伴う木の伐採については、今まで自分たちがやってきたので強くは言えないのだが、身勝手な考え方で申し訳ないがこれからはなるべく切らない方向でやって行きたいのでご協力願いたい」などという言葉が、楽しげな文脈で語られていた。
つまり、ここに登場する人々は、クライミングルートの難度を下げるような木やホールドを伐ったり叩き落として、ルート「開拓」をしていたらしいのである。
民有林におけるそのような行為の民法上の意味についてはさておき、太古以来の造山活動によって地球が創造した奇跡ともいうべき二子山を、遊びついでに叩き割ったり、クラックに芽生えた樹木を伐ったりするという行為を、この人々はどのように考えていたのだろうか。
彼らの行為は結局、山を消耗品程度に考える都会民的発想の域を出るものではなかったのだろう。
都会に住むことが悪なのではない。
岩や沢や、そこにある生態系や山の幸に、どのように向き合うのかが、問題なんだと思う。
この日、午前8時頃に股峠を通ると、テントが3張り、張られていた。
テントの周りには、前夜の宴会の跡がおそらくそのままになっており、クライマーたちはまだ眠っているようだった。
股峠は、二子山ハイカーのほとんどすべてが通る、交通の要所である。
朝まだ早かったが、何人ものハイカーがテントのわきを通り過ぎていった。
一時間ほどを要して東岳をピストンしてきたが、テントとその周囲は、相変わらずそのままになっていた。
西岳を回ってこの日三度、股峠を通ったときには、テントは片づけられていたが、登山道にザイルなど登攀具を広げたままで岩に取りついているパーティがあった。
坂本へ下る途中にも、道の真ん中にザックを下ろし、登山道を占領して休んでいるパーティを見かけた。
この傍若無人さが、岩を割り木を伐る行為と共通していなければいいのだが。
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