電気にまみれた暮らし

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 福島第一原発が所在する阿武隈北部(中通り北部)は、かつて何度か、低山歩きに通った地域である。

 手倉山戸神山十万山は浪江町、五十人山鎌倉岳は旧常葉町、弥宣の鉾五社山糠馬喰山大滝根山は川内村、国見山懸の森は原町市に属する(いくらか違ってるかも)。

 いずれも原生林こそないが、雑木やアカマツに覆われた、まとまりのよい低山で、落ち葉を踏んでの陽だまりハイクに格好の山々である。
 山懐には、小さな鉱泉宿が点在し、五右衛門風呂で温まってのんびり眠ることのできる、自分にとって、取っておきの低山スポットでもあった。

 多少は見知った地域で、放射能汚染により避難指示や屋内待機指示が出され、人々が逃れ出ていきつつある。
 中には、住民の相当数が町ぐるみ避難して、いずれは移住などと、恐ろしい話がマスコミでは流されている。
 人が住まなくなることは、地域が崩壊していくことである。

 これこそ、日本列島の崩壊である。
 農山漁村がすこしずつ崩れていきつつあるのは理解しているが、老若男女がまとまって地域から逃れていく風景は、衝撃的だ。
 これら低山の麓には、多数のため池が築かれ、田んぼが築かれていたはずだ。
 原発事故は、これらの地域に受け継がれてきた暮らしの知恵と文化を破壊してしまった。

 都会民が電気を使って快適に(人として退化して)暮らすために、これほどの犠牲があってよいものか。
 東京都知事は、この津波を天罰と言い、大阪府議会議長は、「大阪にとって天の恵みというと言葉が悪いが、本当にこの地震が起こってよかった」と発言した。
 これらの人々は、原発で作った電気にまみれて、人としての基本的な知恵も技術も想像力も退化させてしまったのだろう。

 計画停電が続き、学校では授業中ずっと電気が使えない。
 とりあえず4月いっぱいまでこの状態が続くという話もあるし、あと1年は続くという情報もある。
 いずれにしても、電気を大量に使う暮らしを続ける限り、どんなに危険でも、原発を作り続けるしかないのだろう。

 だとすれば、電気をなるべく使わない暮らしを築く以外に、列島文化の永続性など担保されないことに、気がついてもよさそうなものだ。

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