OLYMPUS E-510+ZD70-300mm F8.0 1/250 ISO400
他山の石という言葉があるが、山岳遭難のニュースにはほとんど目を通している。
事故はない方がよいし、万が一の場合にも命だけは助かって欲しい。
しかし昨日広島県で遭難したスノーボード一行に関しては、全員無事という吉報だったにもかかわらず、とても不愉快な気持ちが残っている。
彼らの場合、装備の不備や無知という初歩的な問題が原因だったのだが、避難していた「廃屋のような小屋で床板を燃やして過ごした」というのが、とても不愉快なんだと思う。
別のニュースによると、その「小屋」とは廃校になった学校だった。
学校を燃やしたから不愉快なのかというと、それも多少はあるが、命には替えられないから、やむを得なかったのかも知れない。
一番不愉快なのはたぶん、自分たちが命を預けている建物を壊して燃やすという行為に対してだと思う。
これが山小屋あるいは避難小屋だったとしても、こいつらは床板をはがして燃やしてしまったのではあるまいか。
廃校の床板はもう使えないほど朽ちていたかも知れない。
しかし、完全に朽ち果てていなかったからこそ、彼ら7人の命を守ることができたのではないか。
避難小屋としては使える状態だった校舎あとを燃やしてしまったら、同じような遭難者が訪れたとき、この次は使えないだろう。
とりあえず寒かったから、燃やせそうなものなら何でも燃やしてしまったのだろう。
それは、都会民の論理だ。
山の中で、そんな身勝手が通用してはならない。
自分たちは助かったからよいとして、小屋(廃校の校舎)の床板を壊したことに対し、彼らはきっちり責任をとるべきだろう。
林滋子『中国・忘れえぬ日々』の読書ノートを追加。
昨日も今日も、夕方から雪降りだったが、今はあがった。
写真は、隣家の駐車場付近を歩くセグロセキレイ。
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