昨日退勤後、深谷市へ『水になった村』をまた見に行った。
7時半から上映、その後大西暢夫さんのトークもあったので、帰宅は深夜になった。
この映画を2度目に見て、改めて気づいた点がいくつかあった。
作品に登場するジジが、「徳山村は土方で食ってきた村やから・・・」とつぶやく場面があった。
神山征二郎氏の『ふるさと』の主人公だった老人の息子夫妻がまさに、夫婦揃って道路工事に出ていたのを思い出す。
高度成長の時代の日本は、工事の時代でもあった。
金に糸目をつけず工事をしても、税収は倍々ゲームで増えていったから、当時の日本は財政赤字などとは無縁だった。
財政は赤字にならなかったが、この時代に山村の経済構造が大きく変貌した。
農業・酪農・林業が相次ぐ自由化の流れの中で国際競争にさらされ、衰退させられていく一方で、農山漁村は建設業への依存度を強めていった。
地域によっては、世帯数の8割とか9割が建設業に従事する村もあったという。
建設業の隆盛は農林漁業の衰退と裏腹の関係にあった。
農林漁業より建設業の方が、手っ取り早く現金を手にすることができたから、畑や田んぼを荒らしても、多くの人は工事現場で働いた。
建設業に依存して暮らしを立てていく体質が、このときに確立した。
オイルショックによって高度成長が終わったのち、農山漁村がその体質から脱却するのは不可能だった。
田中角栄氏がつくりだした、公共工事と票とをバーターするような政治手法が根づいたのもこのときだ。
工事がなければ食っていけないという経済構造のもとで、初めて赤字国債が発行されたのは1975年。
その後、公共事業は日本の財政の足を引っ張る重石としての役割を果たす。
ダムができなくても、山村で営まれてきた知恵と技に満ちた暮らしは、終わっていった。
徳山村では、ダム建設によってそれがひときわ、ドラスティックに展開したまでだ。
バブル崩壊後の長期不況のもとで、さらなる赤字国債を財源とする巨大ダムの建設が、各地で始まった。
徳山ダム本体工事開始は2000年。つい最近のことだ。
秩父地方でもこの時期、浦山・合角・滝沢の3ダムが相次いで着工された。
最後に始まった滝沢ダムは徳山ダムとほぼ同時に完成し、いま試験湛水を迎えている。
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