三波川を訪ねる

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 終日、秩父事件研究顕彰協議会のフィールドワーク(史跡めぐり)。

 今日は主として、群馬県三波川村(現在藤岡町)と埼玉県矢納村(現在神川町)の史跡を小型バスで回った。
 この一帯は、かつて風早峠越え法久から妹ヶ谷不動尊の2回に分けて峠道を歩いたことがあるが、秩父事件参加者の家を訪ねたり、お墓詣りができるなど、とても有意義で勉強になった。

 最初の見学先は、三波川村琴辻集落の飯塚家と平滑集落の木下家、木下武平墓。
 飯塚家は秩父事件当時の戸長役場だったお宅。屋根は葺き替えてあるものの、築何百年という豪邸だった。
 三波川は秩父と同様に、急傾斜な山村で水田など見あたらない。
 ここにこれだけの有力者が住まいしていたということの意味を、じっくり考えたい。

 木下武平は自由党員で、明治17年11月1日から秩父事件に参加。11月9日の東馬流の銃撃戦まで戦い抜き、事件後捕縛。重禁固4年の刑を受けた。
 この人は事件当時57歳と、秩父事件参加者の最長老グループに属している点も、特筆される。

 次は上妹ヶ谷集落の横田周作実家あとと墓地。
 周作は困民党役割表に「小荷駄方」として名前がのっている幹部の一人で、蜂起前から組織活動に従事していた。ちなみに小荷駄方とは、困民党軍の兵站部隊で、戦闘にとってたいへん重要な役割だった。
 彼もまた、東馬流まで戦って捕縛され、軽懲役8年。在獄4年で獄死。

 その他、回ったのは矢納村の城峰神社と高牛集落だった。高牛は10年前に歩いているはずだが、その風景は覚えていない。
 この一帯ではどこでも寒桜が咲いていたが、冷たい雨が降っていたので、寒々しかった。

 写真は、木下武平の墓。

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