赤貧洗うがごとき

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 退勤後、熊谷で上記の映画鑑賞。
 足尾鉱毒事件と田中正造の生きざまを解説した映画だった。

 足尾鉱毒事件を語り継ぐ必要性は十分に承知しているし、ささやかながら毎年、若者たちに教えてもいる。
 今年は、20名ほどの若者たちと一緒に鉱山跡や三川ダムなどを見学にも行ってきた。

 しかし、秩父事件についても言えることだが、いま考えなければならないのは、この歴史をどのような形で語り継ぐかということではなかろうか。

 秩父事件を自分なりに語れば、ある程度の年輩の方は何かを感じて下さると思う。
 しかしそれだけで若い人の心を打つことは、もうできない。

 解説によって何かを感じることができるのは、歴史と実体験にいくばくか重なるものがあるからだろう。
 1980年代から1990年代にかけての日本しかご存じでない人々にとって、それ以前の日本に実体験的に共有しうるものはほとんどないのではなかろうか。

 ドラマでなく、解説部分の多い映画だったので、その点を強く感じた。
 もっとも解説者として何度も登場された熊本大学の小松さんに銀幕上でお会いできて、たいへん懐かしかったのだが。

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コメント(2)

こんばんは。この映画は解説が多いので本を詠んでいるような感じでしたね。100年後には忘れられてしまっているだろうと思われた田中正造が今の複雑な世相のためもあるのか見事に蘇った、とか言われていましたが、鉱毒被害地と言われる場所に住んでいても知らない人は知りません。興味が無いと判りません。語り継いでいる先生方も年配者ばかりです。映画では政治批判もかなりありましたが田中正造や鉱毒事件をヒントにして「美しい日本」を作っていくのがいい、のは判るのですが、人間は経験のないことには無関心ですから、田中正造でさえ被害民と一緒に行動して初めて理解できたのだとか。私は足尾も好きなので複雑な気持ちでそれを対岸で見ているひとりに過ぎません。そのうちにTVで放映してもらえたらと思います。

ものごとを知る方法としてもっとも確実なのは、体験するということでしょう。
 過去は体験できませんから、過去のかけらを自分の目で見たり体験して、なるべく多くのことを感じるようにするしかないと思います。

 映画の流れから見て正造の最期はやや唐突な印象を受けますが、彼は、森林や川などの生態系と社会・経済のシステムの関係について、統一的に理解しかけておられたのではないかと思いました。

 何かがわかるかもしれないと思って、渡良瀬川の分水嶺を断続的にですが、東村の郡界尾根から袈裟丸から皇海から三俣から半月から茶の木平から地蔵岳から氷室から鳴神山と、袋状に歩いてみたことがあります。
http://www.yasutani.com/thanks/than2001.htm#watarase

 何がわかったかはよくわかりませんが、とても多くのことを知ることができたような気がします。

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