相変わらず忙しいのですが、ジル・A・フレイザー『窒息するオフィス』(岩波書店)を少しずつ読んでいます。
分厚い本なのでなかなか読み終わりませんが、1980年代のアメリカで、ホワイトカラーの労働環境にどのような激変が襲ったかがていねいに分析されています。
オイルショックとその後の不況を経て、アメリカ経済は新興金融資本(ハイリスキーな金融商品や株式投資を業とする人々)の主導によって、コスト至上主義へと変貌を遂げていきます。
資本主義経済においてコストが問題になるのはあたりまえですが、個々の労働者の人間性や会社への忠誠心や管理職を含むホワイトカラー労働者のプライドといった、労働の現場にとってたいへん重要なファクターが、コスト削減のためには、いとも簡単に否定されていったのです。
その結果、株式投資をする人や巨大会社のCAOなど、一部の成功者に富が集中し、会社の実務的経営者以下ホワイトカラー層は、使い捨てられるだけの人的「資源」になり果ててしまいました。
そこでは、かつてのように、会社が繁栄すれば、労働者にもパイの分け前が回って来るというという幻想は絶対にありえず、会社が利益をあげることによって潤うのは株主であり、どんなに成果をあげた労働者であっても、必要がなくなれば、また他の事情(例えばコストが安くサービス残業のできる新卒者と取り替えたいなど)によって自在に首を切られるということが常態化します。
わたしが読んだのはそのへんまでですが、1990年代半ば以降、日本で進行しつつあるのも、まったく同様の事態ですよね。
そういう状態を世界に拡大しようとしたのが、クリントン政権ごろから顕著になった経済的グローバリズムであり、武力でそれを押し広げようとしているのがブッシュ政権だと思うと、日本人はどうすべきか、ここは立ち止まってよく考えるべきではないかと思います。
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