被拘束者バッシング反対

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 イラクで拘束されていた3人に対する、政府筋からのバッシングが起きています。
 解放前から、一部マスコミによる「自己責任論」が流され、それに沿って、3人の家族へのこれまた匿名の嫌がらせが浴びせられました。

 バッシングはむしろ解放後に強まった感じがします。
 公明党冬柴幹事長の「損害賠償請求するかは別としてかかった費用は公表すべき」(asahi com)などのその一環。

 ちなみに外務省は、これに類する声に配慮して、帰りの航空運賃と健康診断費用は本人に請求すると決定しました(asahi com)が、それはごく当たり前のことであって、冬柴氏らの言うような制裁の意味を含む請求はしないようです。

 小泉首相以下、政府が今回の事件でなんの心配もしなかったとか、意味ある行動を全くとらなかったと言うつもりはありません。
 14日の生活記で書いた在イラク米軍の蛮行問題については、小泉氏はチェイニー副大統領に、「ファルージャの事態改善」(asahi com)を要請していたとのこと。
 この労は多とすべきでしょう。

 しかし、今回の事態の過程で、政府が解放に向けてどれだけ有効な手だてを打ってきたのか、上記以外には全く明らかでありません。
 報道を見る限り、10日近くに渡り政府がやってきたのは、「情報収集」とアメリカ・ヨルダンなど「関係国」への協力要請でしかなかったように見えます。
 ちがうのでしょうか。

 首相は、3人を拘束した人をテロリストと呼び(asahi com)、彼らが自衛隊撤兵を要求してきた事実さえ「未確認」と述べています。(asahi com)

 首相が頼りにするアメリカは、事件のさなかに、「彼らを拘束し、法の裁きにかけ、組織を壊滅させる」(パウエル国務長官)と語り、事件を起こしたイラク人を威嚇してみせたものの、解放に向けた行動は何一つとりませんでした。

 しかし、「犯人」の目的はアメリカ軍に協力する自衛隊の撤退要求にありました。
 彼らの日本政府に対する「犯行声明」(asahi com)は、「米軍は我々の土地に侵略したり、子どもを殺したり、いろいろとひどいことをしているのに、あなたたちはその米軍に協力した 」と述べています。

 4月10日に出された「解放声明」は、「日本の政治家たちは、国民の意思を反映しているのではなく、ブッシュ(米大統領)やブレア(英首相)の犯罪的な振る舞いに従っている」と指摘しつつ、「(人質の)日本人たちがイラク国民を応援していることや、家族の悲しみを考慮し、日本国民の姿勢も評価」したが故に、解放することにしたのだと述べています。(asahi com)

 3人の命を救ったのは、家族のみなさんの必死の訴えであり(asahi com)、イラクへ向けた日本の民間のアピールであり、「ナホコの代わりに僕を人質に」と語ったバグダッドの少年の訴え(asahi com)に他なりませんでした。

 「犯人」との仲介にあたったイスラム宗教者委員会は、「我々の努力を日本人の多くが評価してくれている。しかし、日本政府はそうではないようだ」と述べています。(asahi com)

 イラクの現実を誰かが伝えてくれなくてはなりません。
 占領下のイラクで、困っている子どもたちを誰かが助けなくてはなりません。
 そのような使命感に基づいて行動できるのは、うらやましいことです。
 これからの世界には、そのような人がもっとたくさん必要です。

 被拘束者バッシングには反対です。

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