町村合併その後

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 埼玉県の山間の町の合併問題など、大きな問題でないかもしれませんが、どうもひどい展開になってきましたので、少し書かせていただきます。

 当地では、7市町村による合併協議会が作られており、合併期日や役場位置などがすでに決定されています。

 こないだ配られた町の広報には、今月21日に合併に関する住民投票をおこなうと書いてありましたが、具体的な選択肢が示されてないのです。
 選択肢はあとで知らせるとありましたが、そんないい加減な住民投票はないでしょう。

 そう思っていたら、新聞に小鹿野町の住民投票の選択肢が発表されたという記事が載りました。(ソースは消滅)
 選択肢の選定から、町の議会も排除されていたもよう。

 小鹿野町では昨年夏に、「自主住民投票」がおこなわれ、「西秩父3ヶ町村による合併」支持という町民の意向がすでに示されています。
 「自主投票」とはいえ投票率は有権者の過半数を超え、80パーセントが「西秩父3ヶ町村による合併」支持という圧倒的な結果でした。

 新聞は、町の示した選択肢に「西秩父3ヶ町村による合併」がないということを、伝えていました。
 町民の圧倒的多数が支持する選択肢をあらかじめ排除した住民投票など、無意味でしょう。

 わたしはいちおう歴史屋ですので、明治22年の合併や戦時中の強制合併などのいきさつも、多少は見てきました。
 これらはすべて、地方自治を弱め、市町村を国家による支配の道具にするための合併でした。

 小鹿野町のいきさつなどを見ると、今回の合併は、現憲法下における地方自治の理念を総決算すべく、すすめられているのかなと思います。

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