芝原拓自『世界史の中の明治維新』

 19世紀後半という環境の中で行われた維新変革が、その環境ゆえにどのような特徴を持つに至ったかをあとづけている。再読。名著である。

 維新変革は、経済的・政治的な外圧の中で行われた。
 というより、外圧なしにあのような急展開はなかった。

 維新期は、植民地化の危機の時代だった。
 諸藩や幕府は、外国からそれぞれ独自に借款を受けており、政治的な自律性は担保されていなかった。
 特に幕府は、フランスから外国債の形で巨額の債務を負っており、これを放置すれば幕政がフランスにより買収されかねない状況だった。

 軍事的には近代軍とはとても言えない封建時代の武士団の形をそのまま残しており、各大名の独自軍で、統一的な軍事作戦が行われるかさえ、わからなかった。
 日本が植民地化されないほうがよかったと考える限りにおいて、維新の元勲たちが倒幕・統一国家樹立を焦眉の課題と考えたのは、正しい選択だった。

 維新政府は、国家的課題を「富国強兵」と定めた。
 「強兵」はどこの支配者でも考えつくとして、「強兵」に先んじて「富国」をスローガンとしたのは、自由貿易により輸入が超過し、国富を収奪されることの深刻さを政府が認識し、それに抗するには、国内産業の育成以外にないことまで見通していたからであった。

 元勲たちがしばしば激烈に対立し、辞任・就任を繰り返したのは、単に自分の権力にこだわったためではなかろう。
 彼らが権力を利用して自己の私腹を肥やしたのは事実としても、利権と引き換えに国家を売るような所為に及んだとは思われない。
 木戸が国家経営の原則はデスポチックであるべきと述べたのは、不平士族や重税に苦しむ民衆の事情を忖度していたのでは強力な国家を短期間に作り上げるということなどできないと考えたからである。
 有司専制に反発する一部の士族によって始められた自由民権運動も、スタート時点では富国強兵論をモチーフとしており、彼らの主張は基本的に、政府側のそれと大差なかったのであり、「富国」より「強兵」に、より重点がおかれていたといえた。
 しかし、豪農層の参加により、地租軽減要求など、運動に生活者の視点が加わった。

 デスポチックな国家建設という木戸の議論にも、十分な根拠があった。
 では、それ以外に道はなかったのか。

 自由や権利を法的に確立して独立を維持し、近代化を進めることは、現実問題として可能だったのか。
 自由民権運動を考えるとき、この問いを避けては通れない。
 そして植民地化が、あってはならない事態だったかどうかも、考えたほうがよい。

(1977,5 岩波新書 2022,2,10 再読)