困民党研究会『民衆運動の<近代>』

 負債返弁に係る民衆運動は松方デフレ期に多発した。
 その時期は、自由民権運動が闘われた時期と重なっているのだが、これら二つの運動が、統一的に闘われた例は、群馬事件・秩父事件以外にほとんどない。
 この点に関し、1960年代以降、議論が続けられてきた。

 「困民党と自由党」という壮大な論文において、この問題に挑まれた色川大吉氏は、自由党とともに立った秩父困民党と、自由党からなんの支援も得られず孤立した上敗北した武相困民党を対比させ、この問題を解くことが日本近代史や日本の民主主義運動の性格を明らかにすることであろうという提起をされた。

 1980年代に至るまでの秩父事件研究は、困民党と自由党が一体化し、生活のレベルから専制政府打倒・自由政府樹立のために闘われた、すなわち秩父事件を自由民権運動の一環として把握する流れが主流だったと思われる。

 一方、松方デフレ期の負債返弁に係る民衆運動の殆どに自由党など民権派の影響はみられない。
 秩父事件もそうだがこれら民衆運動は、地域において、生活の破綻に瀕した民衆が自発的に開始したもので、自由党本部は最初から最後まで民衆を「愚民」と見下し、ともに闘う姿勢など、全く持たなかった。

 このような点から、秩父事件を除く負債農民騒擾は政治性を全く持たなかったとの評価は正当だと思われる。

 本書には、列島各地の負債農民騒擾に関する個別研究が五本、収録されている。
 いずれの論文も興味深く、負債農民騒擾のそれぞれに、地域独特の特徴が存在するのであり、生活を守るための闘いの実態はワンパターンでないことがわかる。

 負債農民騒擾は生活を守るための闘いである。
 記録に残るものでは中世末以来、民衆は、負債から生活を守るために闘ってきた。

 その闘いはいずれも歴史的な闘いであった。
 土一揆や一向一揆には中世末・近世初頭の歴史性が、百姓一揆には幕藩制時代の歴史性が刻印されていた。
 世直し騒動は、幕藩制時代の民衆運動とは、全く異なる闘いだった。

 それぞれの時代の民衆運動の中に、どのような歴史性を見いだすのかが、歴史の仕事だといえよう。

 森山誠一「松方デフレ期の加賀平野における負債農民騒擾」は、「農民たちの生存・生活権を守ろうとする言動を広く「民権」範疇に含め得るとすれば、彼らは、いわゆる政治的な「自由民権」運動とは無関係に、異なった質とレベルで、民権の防衛・前進に参加したといえるかもしれない」と述べている。

 松方デフレ期の負債騒擾が世直し段階のそれと同質だと考えるのは、幕末から明治前期まで、日本の民衆が闘いの質を深めることができなかったと考えるのと同義だろう。
 生存・生活を守ろうとする中で、全国的な組織を展望し、立憲政治を構想する幹部のもとにや警察・軍隊と戦闘に及んだ秩父困民党の闘いを「民権」範疇に含めることは、あってしかるべきだろう。

(ISBN4-7738-9491-6 C0021 P4944E 1994,2 現代企画室 2021,11,15 読了)