色川大吉『廃墟に立つ』

  『ある昭和史』の続編。1945年から1949年までの「自分史」である。

 自叙伝だと一人称で書かれるのが一般的だが、主人公に谷一郎と名乗らせて、あたかも小説のような筆致で書かれているが、あくまでも実証的な歴史家の作品であり、主人公の名前以外は親友野本貢氏と著者自身の日記に基づいて書かれている。

 復員した著者は大学に戻り、「明治精神史」というタイトルの卒業論文を提出する。
 後年の名著と同タイトルだが、内容についてはほとんど説明がない。

 東京大学の日本史研究室も、戦後すぐの時期には、民主化の激動にさらされた。
 著者はそのさなかにあって、研究室の仲間と激動期を生きた。

 変革期の若者らしく、著者も、社会変革の運動に身を投じる。
 著者が選択したのは、栃木県粕尾村の中学教師になって、地域から社会を変えていこうという生き方だった。

 著者と学友の野本貢氏が粕尾村に入った(野本氏にとってはUターン)のは、1948年4月だった。
 本書を読む限り、村に入った当時の彼らに組織的な背景はなく、二人は単発のナロードニキとして村に入り、教師として生活しながら、夜間学校や演劇活動などの文化活動により地域住民の意識を変えようとした。

 試行錯誤の中でシンパを増やすなど、一定の成果も上げるが、保守的で事なかれ主義的な風土の壁にもぶつかり、同志の野本氏が病死するなど、きびしい状況下にあって、著者は日本共産党に入党するが、さらに困難な日々が続く。
 このエネルギーは、驚嘆すべきである。

 彼らが教師になったのは、生活の基盤と拠点が必要だったからと思われるが、二人にとって教育活動はやがて、最大の生きがいになる。
 教育という営為の本質上、それは当然だっただろう。
 野本氏が早逝しなければ、著者は教師として粕尾村に根づいたかもしれない。
 それでは、のちの歴史家としての数々の著作は生まれなかったことになるが、粕尾村はすぐれた教師を得ることになっただろう。

(ISBN4-09-626084-3 C0022 \2000E 小学館 2021,9,21 読了)