成田龍一『近現代日本史と歴史学』

 日本近現代史(という言い方のほうが座りがよいので)の研究史を総覧した書。
 歴史の教員には史学史を踏まえた歴史教育を行ってほしいと書かれている。
 近現代史全般の研究史だから、参照されている著作は膨大で、また一つ一つのテーマに関する論及は多くないが、全体を俯瞰することができる重厚な本である。

 戦後歴史学を本書は、1960年代前半ごろまでを第一期、1980年代ごろまでを第二期、その後を第三期に分け、特徴づけている。

 第一期の特徴は、歴史を発展段階的に把握するという点にあった。
 その主流は、政治や人民闘争を経済的土台との関連で位置づけるマルクス主義史観で、戦前の講座派・労農派以来の蓄積の上に立つものだった。

 第二期は、第一期の研究を受け継ぎ、地域の具体的な歴史相や民衆の生活や闘いを具体的に明らかにした。
 自分が大学生だった1970年代後半は、第二期に相当する。

 第三期は、歴史を必ずも発展的に把握するのでなく、時代の特徴や様相をさまざまな角度から抽出するスタイルが主流となった。

 現今の自分の学習テーマである自由民権運動について言えば、第一期には、半封建的な明治政府に対抗するブルジョア民主主義運動と規定された。
 第二期には、経済的構造の分析がより精緻になされ、自由党内部の路線の変遷についても、詳細が明らかになった。
 秩父事件研究についていえば、指導層がおおむね中農以上の階層に属していたことが論証され、食うや食わずの貧しい人々による蜂起というような見方は一掃された。
 また、明治初年における諸改革が村落に何をもたらしたかが具体的に明らかになり、秩父地方に自由民権思想が広がる社会的背景が、ある程度明らかになり、事件以前の秩父の思想状況についても、史料発掘がなされた。

 第三期になると、秩父事件観は混迷する。
 現在、多くの研究者に受け入れられているのは、「秩父事件は自由民権運動の影響を受けたとはいえ、本質的には負債農民騒擾である」という評価である。
 この見解は、自由民権運動を狭義の政治運動に限定しなければ成り立たない。
 代表的な論者である稲田雅洋氏は自由民権運動をさらに狭く、言論運動に限定して、激化事件についてはほとんど顧みられない。

 第二期の時代に明らかになったのは、自由民権運動は単なる政治運動でなく、学習運動であり、産業運動であり、文化運動でもあったという点だった。
 江戸時代の民衆は決して無知蒙昧ではなかったが、権利という考え方や、「個」や「自由」といった思想を持つには至らなかった。
 自由民権運動の時代は、民衆が民権思想を媒介として「個」に目覚め、地域に根を張って活動し始めた時代だった。
 おおむね第二期に明らかになったこれらの事実が、運動全体の中に適切に位置づけられることなく、バラバラに把握されたことが自由民権運動の魅力を削いだのではないかと恐れる。

 このようなまとめ方はされていないが、他の時期に関する研究史を含めて、コンパクトにわかりやすくまとまった本である。

(ISBN978-4-12-102150-2 C1221 \860E 2012,2 中公新書 2021,9,6 読了)