唐木順三『「科学者の社会的責任」についての覚え書』

 原子力研究をめぐる倫理的な問題に関する考察。再読。

 本書が書かれた時代は冷戦の真っ只中で、ものを考える人々には、人類の将来に対する不安が増大していた。
 1960年代には科学の役割に対しずいぶん楽観的だったが、1970年代には核軍拡競争がエスカレートし、すでに人類絶滅を可能にするほどの核兵器が蓄積されていたが、なおかつそれに対する自制の声は、両陣営からは聞こえてこなかった。
 芝田進午氏により翻訳されたジョン・サマヴィル『核時代の哲学と倫理』を読んで衝撃を受けたのも、1980年ころだったと思う。

 著者が追究しようとしているのは、真理を究め新たな知見に到達するという科学の本質が、人類の生存という根本命題と両立可能かという点である。

 真理を極めるという科学の営為に倫理的な観点から制限を加えることことについて、多くの科学者は、否定的だろう。
 倫理は主観的な判断であり、またいかようにも解釈の余地がある。
 その点で倫理と科学は相容れない。

 さらに倫理が権力と結びつくとき、真理が権力によって歪められることは、歴史が証明してきた、それこそ真理である。
 それでは、科学は真理以外のいかなる権威からも自立しうるか。
 原子力を戦争目的に利用することは許されないが、人類の繁栄と福祉に帰する目的であれば、それを利用することに問題はないのか。

 本書や『核時代の哲学と倫理』が書かれた時代から40年が経過し、原子力に加えて、デジタル技術や遺伝子工学の進歩が、人類の生存を脅かしつつある。
 核戦争は人類絶滅を結果することが明らかだが、デジタル技術や遺伝子工学は特権階級にとってはむしろ、短期的には大きな利益ともなる。
 「科学者の社会的責任」は一段と複雑化したと言える。

 そこで、本書に立ち戻って考え直さねばならないのである。
 人類の共存という最大の倫理基準に、科学は従わなければならないという意味で。

(1980,7 筑摩書房 1984,9,5 読了 2121,8,7 再読)