松沢裕作『生きづらい明治社会』

 「通俗道徳」の呪縛により、列島民にとって明治がより酷薄な時代になったと述べている。

 近代社会は、人が「個」であることが承認される(べき)社会である。
 国民の支持を得て成立していると自称している以上、いずれの近代国家も、国民の主権性を論理的には認めている。
 現実には、少なからぬ国で人が「個」であることができておらず、明治の「日本」は憲法上も、国民の主権性さえ否定していた。

 江戸時代の「日本」で「個」はほとんど認められなかったが、一方で、村がセーフティネットの機能をある程度持っていた。
 村の相互扶助機能が十分に働かなくなった幕末以降、人々を支配したのが通俗道徳というマインドだったと述べたのが安丸良夫氏だった。

 民衆が生活破綻を回避し、平穏な暮らしを築く上で、通俗道徳という思想を身につけることは、ある程度有効だっただろうが、勤倹力業という生活態度を維持すれば必ず平穏に暮らせたわけではない。
 「個」として存在することが認められないにもかかわらず「自己責任」を要求されるのが、明治の「日本」を含め近代初期の社会だった。

 「個」として自覚し、「個」として行動することを「自由」と呼ばれる状態と知った人々は、「個」として考え、行動し、人間らしい暮らしを追求しようとする。
 「自由がなければ生きている価値がない」という民権期の民衆の言葉は、今とは異なり、ずっしりとしたリアリティを伴って語られていた。

 人が「個」であることが保障されるには、地方自治や立憲政治といった制度が必要である。
 自由民権という考え方・運動の基底には、人間らしい暮らしを実現しようという個人たちの意思が存在した。
 そのように考える人々の意思を束ね、行動に結果させるのに必要なのは、組織だった。
 組織は、組織者が説得し、参加者と議論し、相互に納得するという個人どうしの関係性によって形成される。

 制度を構想し、その実現のために団結する組織が、政党である。
 百姓一揆を計画するにも組織が必要だったが、百姓一揆は制度の構想には至らなかった。

 世直し騒動は幕藩制的秩序を否定したが、制度の構想には至っていなかったし、綿密に準備された百姓一揆ほどの組織性は持たなかった。

 『民衆暴力』の主題は、本書でも共有されている。
 例えば、日比谷暴動には若い男性が多く参加しており、明治末に若い男性には通俗道徳に逆らってみせることをカッコいいと感じる風潮があったという『民衆暴力』の指摘を本書は肯定的に紹介する。
 その当否はさておき、そのことの歴史性を著者はどのように考えておられるのだろうか。

 その点が自分にはよく理解できない。

(ISBN978-4-00-500883-4 C0221 \800E 2018,9 岩波ジュニア新書 2021,8,1 読了)