高橋哲郎『律儀なれど仁侠者』

 田代栄助の人間性を徹底的に追究しており、栄助の体温が伝わってくるような本である。

 史料が多く残っているゆえに、秩父事件の細部について、多くの謎が浮かび上がる。
 田代栄助の思想や行動は、その最たるものだろう。

 思想面では、自由党入党をめぐる村上泰治との行き違い。
 入党申込後、栄助が自由党員として活動した形跡は見当たらない。

 ところが栄助は、井出為吉らの言説に影響された可能性もあるとはいえ、埼玉県土木吏の千葉正規に対し蜂起のさなかに、「現政府を転覆し直ちに国会を開くの革命の乱なり」と述べているから、彼が民権思想と無縁だったという評価もまた成り立たない。

 明治17年の春以降、アクティブな自由党員たちが在地オルグとして困民党を組織化したわけだが、田代栄助がそのような活動に加わった形跡もまったくない。

 だとすれば田代栄助が困民党指導者を引き受けたのは、負債に苦しむ人々をなんとかしてやりたいという思いが基本だったという指摘は、正しい。

 困民党に参加して以降、武装蜂起当日を迎えるまで、栄助が運動の行末について懊悩したことは、想像に難くない。
 本書の分析によって、彼の苦しみが切に伝わってくる。

 さらに戦闘が始まり、困民党軍と国家の側(警官)双方に死者が出るに至って、緒戦の勝利にもかかわらず、国家の側による秩父盆地包囲の情報や各大隊長による独断行動により、栄助の悩みはより深くなる。

 栄助を始めとする幹部の本陣離脱は、秩父事件の歴史を学ぶものにとって、非常に気になる点である。
 その点を本人が語っておらず、その事に関し相談に与ったという他の幹部の証言もないので、その点については、歴史を学ぶものが想像するしかない。
 自分としては、犠牲を少しでも少なくするために旗を巻こうとしたという説に与したいが、それなら離脱前に幹部連の面前でそのように述べるべきだったではないかと反論されれば、再反論の余地は殆どない。

 本書の表題である「律儀なれど仁侠者」は、田代栄助という人物の性格をじつに正確に表していると思う。
 しかし、「律儀なれど仁侠者」なら、全国どこにでもいたはずだ。
 田代栄助と並ぶ優れた困民党指導者だった須長漣造は、直接行動を断念した。
 漣造は「仁侠者」ではなかったが、村人の苦しみに無関心ではいられないという意味で、「仁侠者」類似の心性の持ち主であり、「律儀」な村落指導者だった。

 武相といい秩父といい、困民党とはかくも良心的で魅力的な人々によって組織されていたのである。
 彼らの人柄は、江戸時代の百姓一揆指導者にも通じると思われるが、近代社会成立期特有の歴史条件に規定されてもいる。
 「日本」近代の最良の人間像がそこにはあると思う。

 本書はそれを改めて明らかにしてくれる。
 彼らの「近代性」を分析するのは、歴史家の仕事である。

(ISBN4-7738-9718-X C0023 \3800E 現代企画室 2021,7,13 読了)