色川大吉『自由民権の地下水』

 前半は『困民党と自由党』がそのまま収録されており、ほかに「自由民権運動の地下水を汲むもの」と「困民党の思想」が収録されている。

 色川氏が1960年代から1970年代にかけて提起された自由党と困民党の問題は、いつの間にか棚上げにされているのではなかろうか。
 氏は、明治17年から18年にかけての武相困民党を徹底的に分析し、負債に呻吟する民衆が民権派から黙殺され、例えば秩父の困民党と連携することもかなわず、ついには組織の解体に追い込まれて無惨な敗北を喫した過程を描かれる。

 「自由民権運動の地下水を汲むもの」は、北村透谷という明治の知性が、民権期・松方デフレ期の地域を目撃して自らの精神をどのように磨きあげようとしたかを考察している。
 天賦人権論は明治初年の列島民にとってたいへん刺激的で、若い精神はそれを貪るように吸収したはずだが、現実が思うように展開しないと、一般の民衆は未開で愚かでともに経綸を語るに値しないという思考停止に陥ってしまう。

 著者は透谷が過酷な歴史的現実を正面から受け止めようとしたゆえに、人間観を深めることができたという展望を出される。
 運動に展望がない以上、思考を止めなければ、個の深みに沈潜するのもやむを得なかった。

 「困民党の思想」は、武相困民党事件最終盤における須長漣造の苦闘の意味を明らかにしている。
 自由党と困民党が合体した秩父困民党は大規模な武装蜂起に成功したが、敗北した。
 政治的指導部ももたず、状況によって警察・軍隊との衝突が必至だという現実を前にした須長に、何が可能だったかが問われる。

 色川氏の困民党研究がもつ人間的リアリティが、近年の民権運動研究・困民党研究にはほとんど感じられない。
 自由民権運動を言論戦に限定すると見えてくる部分があるのは事実だが、そのような研究視角は、社会運動を志士的な立場から捉えて、歴史的現実の過酷さに向き合う思考を止めるに等しいのではないかと思う。

(ISBN4-00-260022-X C0321 P780E 1990,5 岩波同時代ライブラリー 2021,6,30 読了)