朝日新聞取材班『戦争責任と追悼』

 戦争責任についての証言・論評と靖国問題についての論評を集めている。

 戦争責任関係の論評やインタビューに、新しい知見はなさそうに感じた。
 一方、追悼のあり方に関しては、戦後80年近くを経ているにもかかわらず、議論がいっこうに深まっていないという印象を持った。

 靖国神社には、兵士として戦争に参加してなくなった人々だけでなく、戦争の計画や戦争指導に携わったA級戦犯までが神として奉祀されている。
 A級戦犯は、一般兵士・下士官・将校が被った理不尽な死に、責任がある人々である。
 平和に対する罪や人道に対する罪は事後法だから、裁判の正当性に疑義が生じるという考え方は一理あるが、A級戦犯たち(本来ならここに裕仁天皇も含まれるべきだった)の戦争企画や戦争指導により300万人にのぼる一般兵士・下士官・将校・一般国民が犠牲となったのは、事実である。

 東京裁判は、「日本」国民に対する戦争責任を裁きの対象としていないのだが、本来なら、そこが追究されてしかるべきだった。
 靖国神社のA級戦犯合祀は、戦争指導者と「日本」国民とを区別し、「日本」国民もまた被害者なのだという論理でこの戦争を総括した周恩来らの考え方を全否定し、侵略戦争の企画者たちを神格化するもので、国交回復後の日中関係の土台を毀損する。
 これは、内政問題でなく、外交上の信頼関係を否定するものであり、中国ならずとも、容認できる話ではない。

 それでは一般兵士・下士官・将校・一般国民をどのように追悼すべきか。
 この点に関する国内の議論は全く深まっていない。
 それはいかにも遅すぎる。

(ISBN4-02-259910-3 C0321 \1200E 2006,11 朝日新聞社 2021,6,11 読了)