黒沢正則『現政府ヲ転覆シ直ニ国会ヲ開ク革命ノ乱ナリ』

 主として田代栄助に焦点を当てながら、秩父事件の政治性を論証しようとしている。

 秩父事件を自由民権運動から切り離し、本質的には世直し一揆同様の負債騒擾であるとする不可解な論が、研究者の中でいつしか支配的になり、若い研究者のなかでも、そのような論調に「忖度」した論立てが主流になって、教科書記述もまた、そのように変貌しつつあるのが現状だと思われる。

 自由民権運動を、民権家による憲法制定・国会開設を求めた言論運動と限定すれば、日本の立憲政治・議会政治に大きな成果を残したと肯定的に評価することができる。
 しかし、自由党に代表される民権運動・民権思想の視野に入っていたのは、明治10年代の日本の課題のごく一部に過ぎなかった。

 当時、もっとも深刻な社会問題は、松方デフレ等により壊滅した民衆生活だった。
 これをどのように救済し、政治体制の変革につなげていくかが、反体制派の最大の課題だったはずだが、民権派の主流は悲惨な現実に対し傍観者的だったのみならず、一般民衆に政治的教養がないと蔑視さえしていた。
 秩父困民党の中核となった自由党員たちを除いて、生活の現実に立脚した政治・国家変革を模索した動きはほとんど存在しなかったのが、日本の自由民権運動の実態だった。

 茨城の自由党、上毛自由党、東海地方の民権家たちなど、広域的な武装蜂起による革命を模索する動きは存在した。
 上毛自由党による群馬事件は、秩父事件の前哨戦と評価できるが、加波山・飯田・静岡・名古屋などにおける広域的な民衆蜂起は妄想の域を出るものでなく(飯田の民権派についてはさらに研究を深める必要が感じられる)、作戦は顕官暗殺のテロリズムと容易に置換された。

 テロリズムは、地域における暮らしの現実に根ざした組織活動を放棄し、国家との闘いに民衆を組織するに足る理論を作り出すことを放棄するものであり、残念ながら、思考停止と同義であった。

 秩父困民党が、なにゆえ高い政治性をもちつつ多くの民衆を組織しえたのかについて、未だ十分な解明はなされていない。
 井上幸治氏が「自由民権運動の最後にして最高の形態」と評された「最高の」の部分の核心は、そこであろう。

 学校の三ヶ年休校要求が「文明の立場から近代化を目指していく民権派の思想とは、理念的に相容れない」などとして、秩父困民党があたかも教育そのものに反対していたかのような的外れな主張をしたのは稲田雅洋氏だった(この見解は藤野裕子『民衆暴力』にも受け継がれている)。
 困民党は、学校教育が悪であるという主張など、いっさいしていない。それどころか、宮下沢五郎(学務委員)、新井周三郎・飯塚森蔵・引間元吉(いずれも教員)ら、数名の教育関係者が参加している。
 事件前の町村費における教育費負担の重さを調べてみれば、松方デフレ期の教育費が重い負担だったことがわかる。
 困民党の要求が学校廃止でなく、学校の三ヶ年休校だったことをみれば、これが「反・学校」の主張でなどなかったのは、明らかである。

 著者は、秩父事件は自由民権運動の一環だと主張される。
 その点で自分もまったく同感である。

 藤野裕子氏は、田代栄助の「親分肌と結集力、そして義理人情を重んじる気質」などを評価される一方で、彼が自由党に入党した事実や、彼の「事成ルノ日ハ純然タル立憲政治を樹立セント欲ス」という発言など、一顧だにされない。
 田代栄助の政治性や誠実さを軽視する見解に対する著者の不満をも、共有できる。

 その上で、本書に対する疑問を述べさせていただく。

 何らかの史実に関する状況証拠は、状況証拠以上のものではない。
 一例をあげよう。

 明治17年1月か2月に村上泰治を訪ね自由党に入党したが、泰治の傲慢な態度に立腹して実質的に活動しなかったという栄助の供述を、著者は、嘘だと断定される。
 その根拠として著者があげられているのは、
(1) 『自由党史』の群馬事件の項に、田代栄助が「秩父の党友」として登場する
(2) 明治17年1月頃に小柏常次郎と栄助が困民救助について話し合ったことがあるという加藤織平の供述
(3) 明治17年3月頃から小柏常次郎が秩父へ出かけることが多かったという小柏ダイの供述
の三点である。

 しかしこれらはいずれも状況証拠であり、著者の断定は、ややもすると主観的見解とのそしりを受けざるを得ないのではないか。

 『自由党史』はそもそも、秩父事件に関する事実関係についてほとんど記述しておらず、編集者や監修者(板垣退助)が田代栄助の動静について正確に知り得たとは考えにくい。
 また、明治17年1月頃に常次郎と栄助が面識関係にあったからといって、2月以降も栄助が自由党員として活発に活動していた証拠にはならない。

 田代栄助が入党申込書を書いて村上泰治に渡したのは、事実だろう。
 しかし、彼がその後、党員として全く活動しなかったとという供述を嘘だと証明するのは、そう簡単ではない。
 少なくとも、上の(1)(2)(3)だけでは、全く不十分である。

 本書には、状況証拠による著者なりの推定が、あたかも証明された史実であるかのように書かれている箇所が散見される。
 歴史は、直接証拠以外、証拠たり得ないというわけではない。
 しかし、それらの史実を強く疑う見解がある場合は、より慎重な論証が求められるだろう。

(ISBN978-4-286-22401-5 C3021 \1000E 2021,3 文芸社 2021,5,20 読了)