佐高信『福沢諭吉伝説』

 エピソードで綴る福沢諭吉という感じの本。

 福沢諭吉の思想史的な位置づけは、あまりに巨大なテーマである。
 それを明らかにするには、福沢の残した多くの著作物を読み込み、その全体の中から彼が「日本」の近代化の中のどこに位置しており、どのような役割を果たしたかを考え抜かねばならない。
 歴史を学んできたものとしそては、エピソードで福沢を語るというやり方は、いささか安易ではないかと感じられたが、福沢のという人の体温を感じることができたのは、一つの収穫だった。

 それはともかく、ちょっと驚いたのは、著者が福沢の脱亜論に懐疑的でおられる点だった。

 脱亜論を書いたのが福沢でなく、別人だったのではないかという疑義が出されている。
 福沢の全集に福沢の論として収録されているこの論文が、福沢によるものでないとすれば、福沢のアジア観は根本的に修正されなければならなくなる。

 著者はこの疑義を紹介するにとどめ、その当否まで踏み込んではおられない。
 その代わり、他の作品や金玉均らに示した厚情から、朝鮮の改革派に対して、福沢が一貫して支持する立場だったことを示唆している。
 この点については、さらに精査する必要があろう。

 『福翁自伝』は福沢の作品のはずだが、これを読むと福沢が侵略主義的な思想の持ち主だったことは否めない。
 自分としては、福沢はやはり、脱亜論的な立場だったように思う。
 (福沢作品を書いたとも言われる)石河幹明を研究する方に、事実関係をさらに究明していただきたい。

 なお本書には、歴史研究者であればまずありえないような事実誤認が見られる。
 福沢と馬場辰猪の関係に関する章で、『三酔人経綸問答』に出てくる「東洋豪傑君」のモデルは北一輝だと述べている点である。
 これはちょっとひどい。

(ISBN978-4-621387-7 C0023 \1700E 2008,10 角川学芸出版 2021,4,1 読了)