保坂智『百姓一揆とその作法』

 江戸時代の百姓一揆像に根本的な再検討を加えている。

 刺激的な論点があまりにも多いので、さしあたって自分が必要としている論点について、ノートしておく。

1 百姓一揆においては、人に危害を加えるための武器は携行されず、「百姓」の自覚のもとに、蓑笠を身につけ、農具中でも鎌が携行される。
 天保期の郡内騒動では、そのような原則が崩れているが、幕末の世直し騒動においても、武器を持たず人(武士・豪商農)に危害を加えない点は、基本的に維持されている。

2 百姓一揆においては、村ごとに事前の組織化がなされ、車連判状などによって組織が形として顕在する。
 世直し騒動にでは貼札等により、その場で参加者が募集されるのだが、状況により参加者は急拡大する。

3 百姓一揆は、仁政イデオロギーに基づいて苛政の是正を求める闘争であって、幕藩制的秩序を否定するものではなかった。
 まして、幕藩体制に代わる社会秩序や権力構想などは、百姓一揆においてはまったくありえなかった。

 百姓一揆が以上のような闘いであるとすれば、世直し騒動はすでにはっきりと異質な民衆運動だと言える。
 世直し騒動は明確な組織を持たず、参加者の募集は基本的にその場で行われた。
 世直し騒動は「世直し」すなわち漠然たる社会変革への期待を表明したが、組織を持たず準備のための議論の積み重ねなどもなかったため、国家変革への展望を持つことはなかった。

 新政反対一揆は、世直し騒動の特徴を基本的に引き継ぐが、「世直し」というポジティブな方向性を持つものではなく、むしろ江戸時代への回帰を標榜することが多かった。

 周到な準備期間を経て闘う組織と綱領と軍律を作り上げ、「自由の世界」「純然たる立憲政体」を求めて、広域的組織を動員して蜂起した秩父事件は、駆り出し等、世直し騒動の闘い方を踏襲する部分を持ちつつも、世直し騒動とはまったく異なる、近代の民衆運動だったと言える。

(ISBN4-642-05537-1 C0320 \1700E 2002,2 吉川弘文館 2021,3,17 読了)