武田砂鉄『わかりやすさの罪』

 ものごとを単純化したり、不透明な部分を捨象して、わかりやすく説明することや、単純化して理解することによって、十分吟味されなければならないことが捨て去られることを批判している。

 商売柄、ものごとをわかりやすく語らなければ、どうにもならない。
 わかりにくいと、お客さんのモチベーションがだだ下がるから。
 したがって、単純化や不透明な部分の捨象は、ルーティンワークであるのだが。

 ほんとうは、あらゆるものごとは簡単に解釈することなどできないし、明確にできない部分が残るものだし、したがって議論の余地があるものである。
 著者は、単純化し、不明確な部分をズバズバ切り捨て、なるべく少ない言葉で、短時間で説明し、晦渋な説明に代わってキャッチコピーで言い抜ける風潮に、繰り返し違和感を隠さない。

 ものごとのうわべを撫でるだけで、ものごとが理解できるわけがない。
 みんながうわべを撫でて理解したような気持ちになって、誰もがうわべが本当の現実だと信じるようになれば、ものごとの本質をどこまでも掘ろうとする営為は無意味化する。

 ものごとの本質を見極めようとするのでなく、どんなレッテルが貼ってあるかに関心が行く。
 それではいけないのではないかと、著者は何度もつぶやいている。

(2020,8 朝日新聞出版 Kindle本 2021,3,15 読了)