大城立裕『焼け跡の高校教師』

 占領期の沖縄における高校のようすを描いた美しい小説。

 戦後すぐの時期の沖縄の高校生だから、多くがつい先日、沖縄戦を体験したはずで、家族や友人の無残な死を体験していない生徒は、むしろ少なかっただろう。
 平和な時代と知識を激しく求める若い魂に、国語教師・演劇指導者として、主人公(著者)はぶつかっていく。

 魂は常に、少しでも大きく、高くなりたいともがいている。
 教育とは、魂と魂のぶつかり合いによって、教えるものと教えられるものの、双方の魂を磨きあう営みである。

 ろくな教材も教具も、勉強道具もなく、教室さえ不十分ななかでも、至高の教育は可能である。
 繰り返すが、教育とは、魂と魂のぶつかり合いだから。

 勉強の得意なものもそうでないものもいる。
 元気のよいものもいれば、おとなしいものもいる。
 彼ら・彼女らの個性ある魂がうまくぶつかり合い、磨き合えれば、それが教育なのである。

 学校が教育工場となり、教師が教育マシン化し、教える内容も教え方も全てマニュアルに基づいて行われようとしている現代だが、その気になれば、ホントの教育は十分に可能だという自信はある。

 要は、教師自身に魂を磨こうとする意欲があるかどうかなのである。

(2020,7 Kindle本 2021,2,9 読了)