清武英利『奪われざるもの』

 ソニーにおけるリストラの歴史を書いた本。

 リストラクチャーという名の従業員整理が本格的に始まったのは、バブル崩壊以後くらいからだった。
 本書を読むと、ソニーの場合、本格的なリストラの開始は、バブル崩壊から数年を経てからだったようだ。

 ソニーは創業以来、モノ(ハード)作りを事業の基本に据え、消費者の生活を一変させるような商品を世に送ることによって成長してきた
 それらの商品開発に携わってきた技術者たちは、必ずしも会社上層部とうまくやることが得意とは限らなかったし、他の何にもまして出世を至高の価値とする人々とも限らなかった。

 創業者が世を去り、経営者には、独創的な開発をうまく組織する力より、巨大化した会社を上手にハンドリングする経営能力が、より多く必要になった。
 会社経営のシステム化・官僚化が必要になり、中間管理職には、上層部への忖度能力が必須となった。

 ベータマックスやウォークマン(自分は結局その双方を買わなかったが)など画期的な商品も、いずれ別の新たな商品によって置き換えられる時が来る。
 製造が終了すれば、技術者も生産ラインも解体され、新たな部署へ異動となるのが本来だが、企業にすれば、新しい時代は、旧時代を作ったベテランより、伸びしろのある若手で代替したほうがコスト的には有利となる。
 こうして、実力のあるベテランが、企業人としてのガス室ともいうべき、リストラ部屋に送られる。

 経営のプロたちには、短期的に利益を出すことが求められる。
 会社とはなんなのか、どのようなモノづくりをめざすのか、といった哲学は必要なく、短期的にそれらはむしろ有害である。

 株主は会社に、理念を求めているのではなく、配当に結びつく利益を求めている。
 そのニーズに答えるのが、すぐれた経営者だという流れに、会社は抗えない。

 そこを断ち切らねばならないと思うのだが、さて、どうしたものか。

(ISBN978-4-06-281673-1 C0195 \800E 2009,3 講談社+a文庫 2021,1,5 読了)