青木理『日本会議の正体』

 日本会議に集まる人々がどのような系譜をたどっており、どのようにして現在のような一大勢力を築くに至ったかを丹念に追った本。

 中核メンバーが活動を始めたのは、70年安保を前にした時代だった。

 政府は明治100年を大々的にキャンペーンし、歴史家たちは「偉大な明治」を無批判に賛美する歴史観と対決する史観を鍛えつつあった。
 大学・高校では自治と民主主義が根本的に問われ、試行錯誤の闘いが続いていた。

 一方、「生長の家」会員などに結集した右派学生たちも、地道な活動を始めていた。
 この動きは、左派から、見落とされてきたと思われる。

 全共闘運動や極左の人々による実力行使が多くの若者の心を捉えている現状は、右派学生にとって、極めて憂うべき事態と見えた。
 地道な組織活動を開始した彼らが全国的な動きを始めたのは、1978年ごろからの元号法制化運動だった。
 この運動は、右派の学生OBたちと神社本庁・明治神宮などが本格的にタッグを組み、右派知識人をおもて看板として、実働部隊として地方で集会を組織する「キャラバン隊」を巡回させて世論形成をはかり、自民党に圧力をかけるといったやり方で、元号法制定という、狙い通りの成果を勝ちとった。

 その後、教科書問題・「国旗国歌」法制定などの局面で、これらの人々は同様の運動を組織し、着実に成果をあげてきた。
 日本会議は、改憲を最大のミッションとする第二次安倍政権と共振しつつ、現在も活発に活動を続けている。

 日本会議の思想は、おそらく大義名分論の系譜を引く神国思想である。
 大義名分論は、水戸学において体系化され、幕末の国学思想において民衆的知識人の中に普及し、明治以降は国家神道と一体化して、昭和期には軍の一部にも強固な支持基盤を築いて、2.26事件を頂点とする天皇親政思想につながっている。

 その思想たるや常識的には、荒唐無稽な妄想以上のものではないのだが、思想的動員力は底堅い。
 組織的な支柱の一つである神社本庁は、今なお、改憲のための署名運動を続けている。
 その実働部隊は傘下の全国の神社だが、神社はそもそも政治的な活動を行う団体でなく、地域の安寧・健康・豊作などを祈願するよりどころである。
 ここに政治的対立を持ち込むことには、抵抗があるだろう。

 もう一つの人的基盤は、国会議員・地方議員による会員組織である。
 日本会議に所属する議員は膨大な数にのぼるが、そのほとんどは、名前を連ねていれば票の足しになるであろうという程度の「お付き合い」であろうと思われる。
 しかし、一部極右的な議員は、違憲だろうが気にせず政治による教育介入を叫んでおり、「お付き合い」議員とてお付き合いせざるを得ないから、侮れない。

 安倍政権は終了したが、日本会議は健在であり、引き続き熱心に歴史の偽造に取り組んでいる。
 彼らの動向を注視するとともに、その強力な運動に楔を打ち込む方途を考えなければならない。

(ISBN978-4-582-85818-1 C0231 \800E 2016,7 平凡社新書 2020,12,15 読了)