安在邦夫『左部彦次郎の生涯』

 足尾鉱毒事件で、中心的な役割を果たした左部彦次郎の歴史的評価を見直す書。

 歴史上の人物の評価は、単純にはなし難い。
 敵か味方か、善か悪かという二元論は、ひとりの人間という存在の持つ陰影を捨象し、単純化し、実際の姿とは別の人間を描いてしまう。
 秩父事件の評価に関しても、決定的な敗北に至る前における総理・会計長らの本陣離脱を、裏切りと評価する論調を見たことがある。

 とうてい勝ち目がなく、絶望的で、犠牲を徒に増やすだけの戦いであっても、戦い抜いて玉砕に向かうことを良しとする心性は、一般の読者にもかなり強い。
 古河鉱業による渡良瀬川汚染を糾弾し、鉱毒問題を治水問題にすり替えた政府の欺瞞を追及する論陣を張るだけでなく、谷中村住民組織化にも活躍した左部は、徹底的に闘おうとする田中正造の右腕的存在だった。
 左部が運動から離脱し、県土木吏に職を得たことは、田中から裏切りと決めつけられ、歴史的にもそのように評価されてしまったという。

 自分もまた、一市民として、職業人として、どのように筋を通すべきか、考え込まざるを得ない状況に陥ったことが、何度かあった。
 闘って玉砕したこともあるが、次善の妥協に応じたことも一度ならずあった。
 あえていえば、自分なりにこれ以上は譲れない点をどこに設定するかが、問題なのだと思う。

 人に対する歴史的な評価は、容易でない。
 運動を研究するとき、闘う主体の分析が重要なのは確かだが、闘わない人々もまた、歴史を支えてきた人々である。
 そのような人々を無視・軽視するのも、間違っている。

 人物研究はこのように丁寧になされるべきだという教材を示していただいたような思いで読了した。

(ISBN978-4-88748-373-6 C0021 \1900E 2020,7 随想舎 2020,11,9 読了)