南彰『政治部不信』

 マスメディアの劣化が無残だ。

 事前の振り付け通りの小劇を政治家と演じる記者。
 本質的なことは尋ねず、政治家が語りたいことを聞く記者。
 テレビは見ないから詳しくは知らないが、解説と称して政治家の言い訳を補完するのが仕事のコメンテイター。

 これらメディアに易々と丸め込まれる国民も国民だが、大本営発表の先棒担ぎで大恥をかいて弁解不能に陥った歴史を知らないとすれば、無知にもほどがあるし、報酬欲しさに幇間記事を書き幇間発言を繰り返すコバンザメの罪は軽くない。

 良心的な現場記者はもちろん、おられる。
 尋ねること、調べること、書くことによって、社会的責任を果たす報道が、尋ねない、調べない、書かないとすれば、どのような存在意義があるのか。
 政治や官僚の書いた筋書きに沿った報道により、その日の紙面や番組を埋めるルーティンを積み重ねることによって、どのような社会を作ろうとするのか。

 メディアは目を覚ましうるか、というのが本書のテーマである。
 著者らは、メディアの最前線で取材する人々の連帯と、女性取材者・デスクが多くなることが、その鍵になると考えている。

 ポピュリズムの席巻は「日本」に限らない。
 居酒屋談義的な単純な議論を吐く「識者」が横行し、庶民の中には、取材者・デスクのように知的作業を担う人々を特権階級視して攻撃する言説が横溢する。
 事態は楽観視できないが、著者らのような取り組みがおそらく、状況を変える正道なのだろうと思える。

(2020,7 朝日新聞出版 Kindle本 2020,10,14 読了)