栗原俊雄『シベリア抑留』

 シベリア抑留体験及び帰国後の体験を取材した本。帰国前後から執筆時までの経過を記している。

 過酷な抑留体験や「民主化」運動についても書かれているが、1993年にロシアの公文書館で発見された史料について詳細に書かれている。

 うち一つは関東軍司令部がソ連軍に提出したもので、ソ連軍の労働力として日本軍将兵を提供する提案である。
 この提案に、ソ連への連行までは含まれていないが、逆にソ連への連行を拒否するとも書かれていない。
 はっきりしているのは、日本軍将兵をソ連軍に提供することは、関東軍自身により提案されたということである。

 富田武『シベリア抑留』に明らかなように、日本軍将兵の連行はと強制労働は、スターリンによって開戦前から計画・命令されていたのであり、成り行きで決まったわけではない。
 とはいえ、関東軍がこのような提案を行っていたとなれば、日本軍・政府の責任は免れない。

 もう一つは関東軍の内部文書で、参謀本部の朝枝参謀が、上記同様に日本軍将兵をソ連軍の「庇護」下におく方針を記したものである。
 朝枝参謀自身は、この文書は偽文書だとしているが、上の史料と併せ考えれば、将兵をソ連軍に引き渡し労役に就かせることを、参謀本部・関東軍がむしろ積極的にソ連側へ提案していたことがわかる。

 「日本」政府は、戦死された旧軍人に対し、一定の補償を行ってきたが、非抑留者に対する補償は行われてこなかった。
 その理由は、戦争による被害は国民一般に共通するものなので、シベリア抑留に関してのみ何らかの補償をすることはできないというものだったが、上のようにシベリア抑留が、日本軍からも積極的に提案されたものだったとなれば、そのような言い訳は通らない。

 民主党政権時代に、非抑留者に見舞金と謝罪文が政府から届いたと聞いたことがある。
 それで十分だとは思わないが、政府としてはそれでひとまず、この問題に区切りをつけたつもりなのだろう。

 だからといって、シベリア抑留問題が歴史的に決着したわけではない。

 ロシアに残っている可能性のある未発掘の史料によって、この巨大な人権侵害の全体像がさらに明らかになることを期待したい。

(ISBN978-4-00-431207-9 C0221 \700E 2009,9 岩波新書 2020,8,5 読了)