半藤一利・保阪正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』

 近代「日本」のメディアの歩みを検証し、問題点を指摘している対談。

 昭和戦前期の歴史を振り返ると、ここ数年の時代状況との類似点が少なくない。
 もちろん、それらは同じでないし、相似形でもない。
 どこがどのように似ているのかを整理することが必要だ。

 戦前の主要メディアといえば、新聞と雑誌の二つしかなかった。
 そのうち新聞は、早い時期から軍のお先棒を担いだ。
 事実かどうかや正確かどうかに関わらず、国民の耳に心地よい情報を流すことが、販売競争に勝つ手段だったからである。
 情報だって、売れなきゃ意味がないんだと居直れば、そのような論もありかもしれない。
 しかしそれでは、いかがわしい出版物と、基本的には同じものだということになる。

 きちんと調べられていない情報に飛びつく人が一定程度存在するのは、やむを得ない。
 しかし、情報の質がわかる読者がいないわけではない。

 情報の質についてのメディア側の自覚とともに、あるいはそれ以上に、読者の質が問題にならざるをえない。
 学校教育はこの間、服従する人間づくりに傾斜してきた。
 「民主的」な思想を持つ教師もやはり、子どもたちに命令し、抑えつけ、飼いならそうとしてきた。

 今やその成果は明らかである。
 どんな悪法であっても、どんなずさんなやり方で決定された法であっても、子どもたちは、「決まりは守らなきゃいけないよね」と毅然として言う。

 上に立つものへの反抗は許されない。
 上に立つものがなぜ上に立っているのかを考える能力は、学校教育の中で削り去られている。

 体制派からも反体制派からも、寄ってたかって従順たるべく飼いならされ、疑うことを禁じられてきた人々に、メディアの情報の質を吟味する能力を求めるのは酷ではないか。

 考えなければならないことは、もっともっとあると思う。

(2013,12 東洋経済新報社 Kindle本 2020,7,28 読了)