青木理『日本の公安警察』

 公安警察の沿革と実態を明らかにした本。

 「日本」には、公安関係の権力機構として、内閣調査室、公安調査庁、および公安警察の三者がある。
 公安権力三者のうち、ノウハウも経験も体制も豊富に持ち合わせているのは、公安警察だろう。
 これら公安権力は、一般人からはその存在さえ、ほとんど意識されない。

 国民の基本的人権に抵触する権力でもあるこのような組織がどの程度必要かについては、十分議論しなければならないのだが、1995年のオウム事件の衝撃は、権力と人権の問題について、冷静に考える力を国民から奪ってしまった。
 かつては、新左翼・日本共産党・右翼・朝鮮総連など、ターゲットがそれなりにわかりやすかった。
 しかしオウム事件や国境をまたいだテロが起きるなかで、国民の不安感は、公安的な組織の必要性を否定し難くさせていると思われる。

 公安警察の最大の失態は、共産党幹部宅の盗聴事件だった。
 これは、犯罪だった。
 百歩譲って公安権力が必要だとしても、権力が基本的人権を侵害することは違法・不法であり、絶対にあってはならないという原則が確立されていなければ、権力の存在自体が不当であると言われても仕方がない。

 盗聴事件に対し、実質的に謝罪も処分も行っていないということは、公安警察による犯罪行為を公認したも同じである。

 21世紀に入って国民の個人情報に関するビッグデータの蓄積が可能になった。
 Nシステムはますます整備され、盗聴やメールの盗み見は、すでに合法化された。
 個人に関する情報を無限に集めることが可能になっており、その情報にアクセスできるものは、国民を支配できるといっても過言ではない。
 今や、『1984年』以上の監視社会が訪れている。

(ISBN4-06-149488-0 C0236 \680E 2000,1 講談社現代新書 2020,5,19 読了)