牧原憲夫『民権と憲法』

 立志舎建白から明治憲法制定前後にかけての通史。
 制度史や権力史だけでなく、社会史にも目配りして、社会の変容が鮮やかに描かれている。

 明治初年の政治的対立構造は、ひとまず、専制政府対民権運動と捉えることができよう。
 もちろん、両陣営とも一枚岩だったわけではなかった。

 民衆レベルでは、政府による各種改革により、生活や思想面での大きな変容を強いられた。
 列島の民は、程度の差はあれ小さくない軋轢を消化しつつ、「日本人」と化していった。
 対外認識の点で、政府と民権派に大差はなく、民権派もまた、プチ帝国主義化をめざす点で政府と変わりはなかった。

 民権運動を担った中核は、当初は士族だったが、富裕な村落・地域指導層が参加することで、国民運動の色彩を帯びるようになった。
 思想面では、天賦人権論を中心とした啓蒙思想と政治的諸権利の確立をめざす民権思想とが分離していく。
 在地の啓蒙思想家たちは、地域名望家として郡・県の官僚や県会議員などへ変貌し、地域から国家を支える存在と化していく。

 一方民権派は、国家のあり方の議論には熱心だったが、民権思想の視点から地域的な課題に取り組む姿勢には欠けていた。
 将来の憲法制定が約束された時点で、彼らは取り組むべき課題を喪失した。

 政治的には、ここで勝敗が決したと言えよう。

 しかし歴史は、政治のおもて舞台でだけ進行するわけではない。
 明治初年の好況・インフレ期は、列島の民の生活・思想の大転換期だった。
 幕末以来、列島の民衆は江戸時代とは異なる主体形成を遂げていた。

 「主権」の自覚には至らなかったものの、地域の政治主体として活発に動いており、村落や地域の政治を動かす実力やノウハウを身につけつつあった。
 経済的には、小商品生産者として自己を確立しようとしており、技術改良や設備投資を活発に展開しつつあった。
 従来「農民」と呼ばれてきたそのような小商品生産者たちの一部も、民権思想によって新たな社会観を形成しつつあった。

 本書は、「自由主義経済」が民衆生活に与えた影響を指摘しているが、各地の小商品生産者たちが「富」を求めて行っていた活発な経済活動と例えば群馬事件や秩父事件のような政治的事件がどのように連動していたかについて、今ひとつ説明しきれていないように思う。
 この点については、いずれ自分で整理してみたい。

(ISBN4-00-431043-1 C0221 \740E 2006,12 岩波新書 2018,4,22 読了)