半藤一利・保阪正康『昭和の名将と愚将』

 帝国陸海軍の将官(一部は将校)の人物に関する対談。

 国家に自衛権があるなら軍隊は必要だろう。
 軍隊には指導者が必要だから、その指導者は愚将であるより名将であったほうがよい。
 本書で戦争史に詳しい対談者が、昭和戦前期の軍人たちについて論評している。

 名将に必要な資質は、戦略や責任感・大局観など多面に渡り、高い能力をバランスよく備えていることだろう。
 戦史をいくらか読んでみて感じるのだが、軍を率いる者が最も心を用いるべきは、勝つことではなく、犠牲を少なくすることである。

 それならひたすら逃げればよいのかと突っ込まれるかもしれない。
 しかし踏みとどまるべき戦線で逃げることは、後日の犠牲を拡大することに思いを致すならば、ただ逃げればよいということなはなるまい。
 だが一般論として、戦うより戦わないことのほうが犠牲が少なくなるのは確かだろう。
 「それでは大義が・・・」と言われるかもしれないが、いかなる大義も生命以上の価値を持たないと考えておいたほうが間違いが少ない。
 秩父事件の際、田代栄助や井上伝蔵が決定的敗北の前に戦うことをやめた心境を推しはかるに、そんな判断があったという気がする。

 権力欲や功名心は、戦略や責任感や大局観を歪めるから、近代軍人の最も戒めるべき心情だろう。
 帝国陸海軍のヒエラルヒーは、学力の優劣によって構築されていた。
 昭和の軍人に、立派な人も少なくない。
 しかし、兵士と国民を、自分の野心や功名心の道具としか考えていないような者が軍上層部に一人でもいれば、兵士・国民は、無駄死にを強いられる。

 おおやけの立場に立つものとして、軍人には最も高度な能力が求められると思うのだが、現在はどうなっているだろうか。

(ISBN978-4-16-660618-4 C0221 \740E 2008,2 文春新書 2018,2,22 読了)