三浦進『明治の革命(新版)』

 自由民権運動に関する概説書。
 叙述の焦点は、政府打倒をめざす民権派の路線がどのようなものだったかにあてられており、民権派がどのような戦略・戦術を持って闘ったのかを解明しようとしている。

 著者は、「自由民権運動は、政府による悪虐無道な弾圧の中にあって追いつめられ、広域蜂起をめざすグループと顕官暗殺をめざすグループに分裂し、前者は群馬事件・秩父事件に連なり、後者は加波山事件に連なる」とした見解をきびしく批判する。

 自由党内に多様な戦略があったのは当然だが、それらすべてを史料的にあとづけるのは難しい。
 秩父事件における落合寅市史料(明治17年春季党大会の際に有志会議が行われたという証言)の信憑性については、さまざまな見解がある。
 この史料の重さをどう考えるかによって、秩父事件が関東一斉蜂起の一環なのか、そうでないのかが変わってくる。

 要は、現在残されている史料とその行間から、どのような動きを読みとるかである。

 著者は、加波山事件前後の党員・壮士の動きを緻密に追うことによって、蜂起派と暗殺派に路線上の大きな対立は存在せず、顕官暗殺によって流動的な事態を作り出し、蜂起につなげるという大きな戦略ではほぼ一致していたという展望を示す。

 この説には説得力があり、関東地方の自由党員たちが、何らかの形で専制政府転覆への志向性を共有していたのは事実だろう。

 しかし顕官暗殺によって、内乱状態を作り出すなどということが、本当にありえたのだろうか。
 その構想自体が非現実的な空想にすぎないとすれば、これらの動きの歴史的意味は、大きくないと言わざるをえない。

 テロによって局面を打開しようという発想に、現実的な妥当性があったとは、思えない。

(ISBN978-4-88683-777-6 C0021 \1800E 2015,3 同時代社 2016,9,16 読了)