三宅雅子『掘るまいか』

 新潟県山古志村から広神村へ抜ける中山トンネル開削のドキュメント。

 山古志村の近くには、破間川に沿う只見線と魚野川に沿う上越線があり、それなりに交通の便のある地域のように見えるが、この村は、二つの鉄道に挟まれたエアポケットのような位置にある。

 屈曲する山ひだの中にある山間部の村にとって、道は、生命と暮らしを保障する道である。
 都会民にとって、どれだけ便利であるかどうかが問題なのだが、山の民にとっては、生きていけるかどうかなのだ。

 中山トンネルの計画が動き出したのが1932年、着工が1933年である。
 昭和恐慌のさなか、「日本」中の町村が「自力更生」へのかけ声のもと、苦闘していた時代である。
 救農土木事業の補助金でも出るなら考えられるが、経済面で自腹を切るだけでなく、労力まで自腹であり、約900メートルのトンネルをツルハシを使った手掘りで掘ろうという話である。

 さもありなんと思われるのは、村が推進派と反対派に分裂したということだ。
 反対派は、トンネル自体に反対なのではなく、全て自腹で賄う負担には耐え切れないという人々である。

 トンネル開通まで、戦争中の2年間の中断を含めて、16年がかかっている。

 近代における道は、外部の者が村を都合よく利用するための道や、村の中の資源を外部に供するための道だったりすることが多い。

 しかし中山トンネルは、農産物を売りに出たり、医者にかかったりするための、生活の道である。
 村人が生きていくための道こそが、もっとも必要な生命の道でなければならない。

 現代の道は、暮らしのためでなく、一部の企業がコストダウンして利益をあげることを中心的な目的としているようにみえる。
 高速道路など、もういらないのである。

(ISBN4-88629-964-4 C0095 \1600E 2006,2 鳥影社 2016,1,21 読了)