田中彰『高杉晋作と奇兵隊』

 奇兵隊を始めとする長州のいわゆる諸隊の歴史的位置を考察した書。

 奇兵隊を始めとする長州のいわゆる諸隊の歴史的位置を考察した書。

 高杉が奇兵隊創設を提案した理由は、諸外国及び公儀の軍事的圧力によって危機に瀕した長州(毛利家)防衛に役立てるといったところだろう
 それを正兵隊でなく奇兵隊によって行おうとしたところが、高杉の先見性である。

 奇兵隊創設当時、長州でも世直し状況が醸成されつつあった。
 奇兵隊はまた、高杉らの持論であった「尊皇攘夷」の手段としても構想されていたから、民衆のもつ素朴なナショナリズムを彼らの意図する方向に誘導しなければならなかった。
 だから奇兵隊では、軍事訓練だけでなく、学習活動も重視されていた。

 その結果、奇兵隊は、秩父困民党の五か条にも劣らぬ軍律を備えた「人民の軍隊」的側面をもつようになる一方、封建権力たる長州藩の軍事力の一部として機能した。

 創設者の高杉は、奇兵隊のその後を見ることなく死去したが、奇兵隊を始め長州藩の諸隊は、封建権力・特権階級の手駒かつ消耗品として使い捨てられようとした。

 これに対し諸隊の一部による反乱が起こったが、武力によって徹底的にそれを鎮圧したのが、広沢真臣・木戸孝允・山県有朋ら、維新後の新たな特権階級である「有司専制」につながる面々だった。

 諸隊反乱の系譜は、竹橋事件へと引き継がれていくが、これを弾圧し、歴史から消し去ろうとしたのも、彼ら「有司専制」だった。

 帝国陸・海軍の思想は、奇兵隊から流血を伴いつつ、「人民」的要素を徹底的に抜き去ることによって作られていったといえる。

(1985,10 岩波新書 2015,10,7 読了)