沖浦和光『瀬戸内の民俗誌』

 無数の島々が浮かぶ瀬戸内海に生きた人びとの歴史を描いた書。
 考察の対象は、島の「農民」ではなく、海を生活の主たる舞台としてた人びと(本書では「海民」と呼ばれている)である。

 それらの人びとは基本的に、文字とは無縁に暮らしていたから、文献史料はほとんど存在しない。
 歴史的考察が、ある程度雑駁になるのはやむを得ない。

 南九州や瀬戸内海の海民の起源を著者は、東南アジア海民に求めておられる。
 むろん、文献は存在しない。
 しかし、民俗的な類似性を根拠にしたのでは、列島全体にそのような特徴が見いだせるのでははなかろうか。
 とすれば、列島の民がほぼおしなべて、東南アジア海民の血統や文化を受け継いでいると考えたほうが無理がないように思う。

 大和政権の成立後、「農業」に携わらない海民の多くは、戸籍に登録されないまま、ある意味「自由」に暮らしていたらしい。
 それは、「山人」の場合も同様だった。

 彼らはまた、平安時代ころまでは、瀬戸内海を通行する船を襲撃して金品を奪う海賊でもあったが、治承の動乱では源氏・もしくは平氏に加勢して、歴史の行方を左右した。

 鎌倉時代から戦国時代には、「水軍」という形で組織化され、瀬戸内一帯の権力形成にも関わったが、織田・豊富政権下で海賊行為が完全に禁止され、海民が武力を持つ時代が終わった。

 農本主義的タテマエで全国支配を行った幕藩体制期以降、海民は被差別民に位置づけられた。
 海に生きる民としての誇りを否定されかつ、漁業権さえ否定された海民受難の時代は、明治以降も同様で、彼らの零細な漁業が組織的な漁業によって駆逐され、生業として成り立たなくなると、海の上で送る人生を送る人びとは消えていった。

 一元的で強大な権力が成立すると、支配の隙間で暮らす人々は容認されなくなる。
 支配の隙間だろうがなんだろうが、人生の価値に変わりはないにもかかわらず。

(ISBN4-00-430569-1 C0239 \780E 1998,7 岩波新書 2015,8,12 読了)