五木寛之『信仰の共和国-金沢・生と死の境界-大和』

 著者による金沢・大和紀行。

 著者に言わせれば、金沢は、前田百万石の城下町である以前に、一向一揆が100年にわたって自治を行った寺内町である。
 この町の原像をたどっていけばどうしても、そこにたどり着くからである。

 金沢との接点がないので今ひとつイメージが湧かないのだが、百姓の持ちたる国が長く存在した歴史は、もっと語られてよいのだが、おそらく史料不足のために、実態の詳細はわからない。

 著者は、浄土真宗が白山麓の山人に浸透していたことが百姓国の戦闘力を支えていたことを示唆しておられる。
 おそらくその通りなのだろうが、論証するための根拠に乏しい。
 このあたりは、歴史学以外の諸学によるアプローチがほしいところである。

 著者がとりあげている大和は、金剛・葛城山脈の東麓と斑鳩である。
 ここは、古代ヤマト政権とは緊張関係にあった一帯である。

 ヤマト政権の核心部は、巻向から大和三山にかけての一帯と、飛鳥一帯ではなかったかと思われる。
 ここに存在したちいさな「国家」は、わずか10キロメートルほど離れた葛城をさえ、支配する力を持っておらず、従わない人々を「土蜘蛛」などと蔑称して憎悪しており、その土地の支配者はヤマト政権に対し完全に服従しているわけではなかった。(一言主命)

 著者にとって、こちらが大和の原像なのである。
 自分もそう思う。

 これを確かめることも史料的に不可能なのだが、記紀の記述を事実と断じる根拠もまた、存在しない。
 上のエントリのような想像をたくましくするのは自由であろう。

 時間ができれば、著者のようにじっくりと、地域の原像をさぐる旅をしてみたい。

(ISBN4-06-212936-1 C0236 \838E 2006,3 講談社 2015,7,20 読了)