NHK取材班『張学良の昭和史最後の証言』

 晩年の張学良へのインタビューを中心に構成された書。

 『張学良』は小説だったが、こちらは事実により即して書かれている。
 とはいえ、1990年に90歳になってもなお、張学良の口は固く、決定的な部分で口を閉ざす場面も多い。

 貴重なのは、張学良の肉声である。
 本書を通じて、「日本」の侵略に対し、張学良が一貫して抵抗心を持ち続けたことがわかる。

 父親の張作霖を暗殺したのが関東軍だということは、彼にはわかっていただろう。
 そのことひとつとっても、張学良を「日本」の傀儡に仕立てるなど不可能だった。
 彼にすれば、「日本」に抗する方法は、国民軍(蒋介石)の配下に下る以外にはなかった。

 ところが、蒋介石という人物は、近代国家の指導者像に近い人物ではあるものの、気ままで独裁的で、軍閥のボスに近い一面を持っていた。
 西安事件までの蒋介石にとって、当面の敵は「日本」ではなく、中国共産党であり、彼の政治的目標は、中国の支配者として君臨することだったが、それは中国のとるべき戦略として正しくなかった。

 日中戦争で中国が勝利したのは、西安事件によって抗日民族統一戦線が確立したからである。
 統一戦線交渉の当事者は蒋介石と周恩来だったが、楊虎城と張学良なくして彼らがテーブルにつくことはありえなかった。
 中国共産党はこの二人が抗日戦争を勝利に導いた功労者と位置づけているようだが、そのとおりである。

 印象深いのは、事件後、張学良が南京に戻り、国民政府の裁きを受けた上、半世紀以上に及ぶ軟禁生活を甘受した点であるが、彼は終生にわたって蒋介石監禁を自分の「罪」と自覚していた。

 蒋介石がもし当初から抗日の立場をとっていれば、張学良は蒋介石に対し、忠実な部下であり続けただろう。
 彼にとって西安事件は、やむにやまれぬ行動だったのだが、彼の人生最大の悔いるべきでもあった。

 張学良は、軍閥的意識を持ち続けた人物であると同時に、抗日戦争の功労者でもあった。

(ISBN4-04-195402-9 C0121 P560E 1995,5 角川文庫 2015,3,9 読了)