熊岡路矢『カンボジア最前線』

 機械修理技術を教えるNGOの活動を通して見た、ポル・ポト後のカンボジアルポ。

 いわゆるベトナム戦争は、じつはインドシナ戦争だった。

 ベトナム・ラオス・カンボジアの各国で、アメリカの傀儡政権と民族派=社会主義派が戦っていた。

 1975年のベトナム解放とともにロン・ノル政権が崩壊したカンボジアでは、カンボジア共産党(ポル・ポト派)が権力を握り、「共産主義経済」を強行した。
 その過程で、知識階層が大量虐殺され、カンボジアのすべてが崩壊した。

 1979年にヘン・サムリン派がベトナムとともにポル・ポト政権を倒したとき、ポル・ポトを支えていた中国や北朝鮮は、ベトナムとカンボジア新政権を激しく糾弾し、冷戦下にあった西側(当時)の主要国は、ソ連-ベトナムブロックの敵は味方という発想のもと、ポル・ポト政権を支持した。

 国土のほとんどを実効支配するヘン・サムリン政権に対し、中国の軍事支援のみを拠り所とするポルポト派と反ベトナムを標榜するシアヌーク派、反共を標榜するソン・サン派がゲリラ戦を挑んだが、1989年にベトナム軍が完全撤退したのち、1991年になってようやく、4派による「パリ和平協定」が成立した。

 抗米戦争による荒廃にポル・ポト政権による荒廃が拍車をかけ、その後の内戦がカンボジアの国土を地雷原に変えた。

 パリ協定以後、西側の姿勢が転換し、「日本」も自衛隊のPKOをカンボジアに送った。
 新生カンボジアは、国際的に認知され、大々的な支援も送られるようになったが、ポル・ポト政権崩壊からパリ協定までの、カンボジアにとって最も厳しかった時代に手をさしのべたのは、著者を始めとする、非政府機関のボランティアたちだった。

 カンボジアの大地には今なお無数の地雷が埋められており、経済的発展の道は険しい。
 しかしいずれ、この国にも市場経済の波が押し寄せてくるだろう。
 中国やベトナムとは異なるカネ至上主義でない市場経済は、この国で実現できないだろうか。

(ISBN4-00-430280-3 C0231 \580E 1993,5 岩波新書 2014,8,20 読了)