農文協文化部『短命化が始まった』

> 山梨県棡原村をフィールドとする、食生活と食意識の調査報告。

 たいへんな力作である。

 食生活・食意識が劇的に変容したのは、戦後、アメリカによって肉食・パン食を是とする栄養学が導入されたことによってだと、本書は述べる。

 一食ごとの栄養バランスを気にする意識は、保健婦による「科学的」な栄養指導や学校教育を通して、「日本人」の意識の根底にまで、浸透した。

 洗脳された食意識の上に、村の生活構造の劇的な変化が事態を決定的に変えた。

 山村の暮らしはもともと、自給自足では動いていない。
 食糧や資材の一部を外部から移入することが必須である一方、地域に特産を作ったり外部に販売するなどの生業が存在し、地域社会が成り立っていた。

 食に関しては、地域内で生産されるものを基本にしつつ、外部からの移入物によって補完していたと思われる。

 高度成長期以降、道路が次第に開通し、基本的に地域内に存在した生業が地域の枠外にはみ出して営まれるようになると、地域で食糧を生産するよりも、地域外の賃労働に従事して現金を得る方がはるかに有利となる。
 生活構造の激変の本質は、そこだった。

 「作って食べる」から「買って食べる」への構造転換は、個々の国民の単位でなく、国全体でドラスチックに進行した。
 食のあり方や持続可能な生活構造に関する国家的な戦略が存在した形跡がないのは、驚くべきことだ。

 資本主義経済はもともと、現在の生活が持続可能かどうかに拘泥しない本質を持つ。
 情けないことに、資本にとっては、三年先・十年先・三十年先がどうなるかより、眼前の利益をつかむことができるかどうかが重要だからである。
 著者らは、行政・資本・メディアのトライアングルが、生活構造転換を主導したと述べている。

 これによって、身の回りにあるモノを利用する技術や知恵が失われた。
 かつて肥料や燃料として奪い合われた落ち葉や不要な木片は、「可燃ゴミ」と化した。

 冷凍が容易になったことにより、食べ物の保存技術も失われた。
 塩蔵・乾蔵されたものの調理方法も失われた。

 海に囲まれ、急峻な山岳地帯を背骨に持つこの列島は、多様な生活環境を持つ。
 海・山・風とうまくつきあい、利用しながら暮らす知恵こそが、列島の民の生きざまの集大成であったのに、われわれはそれを捨てたのである。

 短命化は、その結果の一部に過ぎない。
 短命化自体の問題より、列島民の生きる力の崩壊をこそ、問題にすべきだろう。

 本書に提出されているような論点が、社会のあらゆる場面で、正面から取りあげられなかったところに、列島の未来に対する、致命的な無関心が感じられる。

(ISBN4-540-85057-1 C1336 \1200E 1986,1 農山漁村文化協会 2013,9,24 読了)