石原昌家『沖縄の旅・アブラチガマと轟の壕』

 沖縄戦の実態がある程度明らかになっているにもかかわらず、「国を守るために戦う」といった言説があとを絶たない。

 沖縄戦は「日本」にとってそもそも、沖縄を守るための戦争でなく、アメリカ軍の「本土」攻撃を遅らせる時間稼ぎでしかなかった。

 それでは、アメリカ軍が九十九里浜に上陸した来たら、どうなっていたか。

 埼玉県大里郡寄居町役場で、「国民抗戦必携」という小冊子を見たことがある。

 そこには、アメリカ軍と文字通り、徒手空拳で戦う法が、図入りで示されていた。

 「本土」を守るために沖縄が犠牲にされたという表現は必ずしも間違いではないが、「本土」もまた、何かを守るための犠牲に供される手はずになっていたのである。
 だから、沖縄で起きたことは、間違いなく本土でも再現されたはずだ。

 人間は、なかなか懲りない生き物であるかもしれないが、無惨に絶たれた命の声を聞かねばならない。
 彼らは、こう語る。

 「日本の軍隊は、住民を守ってくれない」
 「日本の軍隊に近づいてはいけない」

 この本は、丹念な聞き取りによって構成されている。
 命の声をしっかり聞かねばならない。

(ISBN4-08-720036-1 C0221 \700E 2000,6 集英社新書 2013,8,31 読了)