佐野眞一『遠い「山びこ」』

 『山びこ学校』の周辺を詳細に取材した書。

 「山びこ学校」の実践は今、以前にもまして輝いて見える。

 ここには、現実をリアルに見つめ、自分(たち)の力で問題を解決する力を育てる教育があるからだ。

 この教師は生徒たちに、「働くことを好きになろう」と呼びかけ続けた。
 ここから育つのは、政治に一家言持つ「有権者」でなく、身体を酷使しながら大地と格闘する「生活者」である。
 「生活者」でない「主権者」はニセモノだ。

 教師はその後、村から東京に出て、「山びこ」の教え子から「芸能人化した」と言われるほどの、メディアの寵児となった。
 ご本人に、村で「山びこ」の教育を、さらに深化させる選択肢はなかったようだ。

 いっぽう、「山びこ」を発展させる教育実践が登場する条件も、失われていった。
 教育は、子どものための教育から再び、国家のための教育へと変質していったからだ。

 子どもたちは、飼いならされることに対し、さまざまな形で異議を申立てたが、いつしか教育は、「使える人間製造工場」と化した。
 デキル者には特権意識を注入し、その他大勢には、従うことを徹底的にトレーニングした。
 「山びこ」の教師だった人は、そのような流れに、なすすべを持たなかったのだろう。

 本書の中では、「山びこ」の子どもたちのその後を取材した部分が、最も心を打つ。
 生徒たちはみな、立派な「生活者」として生きていた。
 「山びこ」の教育は、みごとに成功していた。

 生活を学ばせる教育を復権させたいものだ。

(ISBN4-10-131637-6 C0195 \667E 2005,5 新潮文庫 2013,8,18 読了)