菅谷昭『チェルノブィリ診療記』

 チェルノブィリ事故後のベラルーシで甲状腺ガンの治療にあたった医師の手記。

 チェルノブィリは、「日本人」にとって、対岸の火事でしかなかったと思う。

 「日本人」の多くは、地球を一周した放射性物質が列島を汚染するかしないかとか、ヨーロッパ産の食品を忌避した方がよいのではないかという程度にしか、事態を受け止めていなかった。

 原発事故は、国境を越えて地球を広範囲に汚染し、場所によっては、取り返しのつかないほど汚染される地域も出てくる。
 少し考えればわかる、そんなことに切迫感を持たなかったことが、「日本人」の罪だったと言える。

 著者が体験したチェルノブィリ後のベラルーシに、「日本」で今後起きることがほぼすべて、起きている。

 チェルノブィリ後のベラルーシでは、甲状腺障害が非常に早期から激発したらしい。
 ここでは、小児甲状腺ガン患者が、それ以前の600倍に増えた。
 「専門家」は、明らかに異常なこの数字と放射線被曝との「因果関係が証明されてない」というのだろうが、因果関係を証明しなくても、マトモな感覚でこの数字を見れば、一目瞭然である。

 重要なのは、因果関係のメカニズムを解明することではなく、取り返しのつかない事態からいかに速やかに子どもたちを救うかということである。

 社会主義ソ連は、「国家」のメンツを優先させたために、被害の拡大に有効な手を打てなかった。
 「日本」国家も、同様だった。
 原発事故被害者は、棄てられる。
 これは、法則である。

 ベラルーシでは、避難させられても汚染された故郷に戻ってきてしまう、「わがままな人びと」がいるという。
 故郷をあとにした若者も、「あんなに美しい森や川があって、食べるものがいっぱいある場所なんて、ほかにない」と言っている。

 原発再稼働に動き始めた政治・経済を持ち上げるばかりの新聞紙面には、今再稼働しないと電気料金が上がるなどと、とんちんかんな提灯記事があふれている。

(ISBN978-4-10-134641-0 C0195 \400E 2011,7 新潮文庫 2013,7,3 読了)