山秋真『原発をつくらせない人びと』

 山口県上関町に建設計画のある中国電力上関原発に反対してきた、同町祝島のルポ。

 上関原発の計画が明らかになってから30年、祝島では、一貫して建設反対運動が闘われてきた。

 闘う意思を固めた人間が闘い続けるのは、困難ではあっても、できないことではない。

 しかし、世代をまたがって闘い続けるのは、絶望的に難しいと思う。

 祝島で原発反対運動を始めたのは、働き盛りの人々だった。
 その人々が徹底して闘い抜き、次の世代へ闘いのバトンを受け継ぎ、島の外から訪れた人々をも受け入れて、闘いが続けられた。

 本書に期待したのは、そのような闘いが可能だったのはなぜかという点だった。

 そのヒントは、各所に散りばめられている。

 例えば、大正時代の記録に「(祝島では)サツマイモがたくさん作られており、凶作が少ない」とあるらしい。
 コメを常食できる富裕な人もいないが、食うに困っているような貧しい人もいないということだろう。
 「あまりガツガツ働かず、適当に働いて、遊んで暮らすのがよい」という価値観が、年配者の間には、今でも生きているらしい。

 このような価値観が可能なのは、海と山が豊かだからだ。
 生きていくのに必要なものを、海と山が十分に与えてくれるなら、ほかに何が必要だろうか。
 カネを欲しがるのは、それ以外にすがるもののない人々である。

 上関町の中はもちろん、島の中にも、修復しがたい対立が生じたままになっているようだ。
 原発やダムが建設された町では、反対派=少数派が虐げられる構造が生まれた。
 上関原発はまだ決着していないが、3.11以降、建設は困難になった。

 権力とカネの亡者たちは、「日本の競争力」とか、実態のない言葉を吐きちらしては、宝の海・宝の山を切り売りしようとしている。
 人間が生きていくのに、何がもっとも大切なのか、祝島の人々から、教えてもらうべきだろう。

(ISBN978-4-00-431399-1 C0236 \760E 2012,12 岩波新書 2013,3,12 読了)