飯野頼治『両神山風土記』

 深田久弥の「日本百名山」には、今となっては名山の名に恥じる山も含まれているが、両神山は、文句なしの名山である。

 小鹿野町と両神村が合併したとき、町の名を「両神町」にしなかったのは迂闊だったと思う。

 旧大滝村と旧両神村・小鹿野町にまたがっているが、大滝村中津川に鉱山がある以外には「開発」の動きもなく、伐採・植林の手は入っているものの、山の自然度は高い。
 日向大谷コースの要衝にある清滝小屋を管理する人がいないのが、たいへん気にかかるところだが、おおむね適切に使われているようだ。
 両神山本体の周縁にも個性的な峰々を従えるが、山塊としてはごく小さい。

 両神山に関する最もすぐれた文献は、著者による『両神山 風土と登山案内』(実業之日本社 1975)である。
 こちらの本を開けば、両神山について、この本以上の本は書けまいということが、ただちにわかる。

 ところで本書(『両神山風土記』)は、日向大谷の両神山ガイドだった山中宗助氏からの聞き取りを中心に構成してある。
 著者の博識と宗助氏の証言とがコラボレーションして、かつての両神山の姿がいきいきと蘇る。

 両神山とは、何よりも信仰の山だったわけだが、地元の祭礼でいつもお世話になっていた尾ノ内・竜頭神社の高野宮司も亡くなられたと聞く。
 自分のように信仰心が希薄な人間でも、地域の宗教行事の形骸化が進むことに、はたしてこれでよいのかという危惧を持つ。

 地元の高校が両神登山を廃止してから、久しい。
 両神山をめぐる人間力が弱くなっているのは間違いない。
 これでよいのだろうか。

(2012,9 私家版 2012,9,30 読了)